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女子バレーボール栄枯盛衰


東洋の魔女

1964年の東京オリンピックで、女子バレーボールは確実に金メダルの取れる種目で、大会前から「東洋の魔女」と呼ばれ無敵だった。期待通りに金メダルを取ると、一大バレーボールブームが起きた。「アタックNo.1」や「サインはV」のテレビ番組は男女を問わず人気になった。「サインはV」に稲妻落としというサーブがあった。コートに背を向けて腕をグルグル回転させて打つ魔球である。体育の授業でこれをマネする奴が多かった。

東洋の魔女の母体はニチボー貝塚で、1959年から1966年にかけて258連勝という大記録を樹立した伝説のチームである。連勝記録を止めたのはヤシカ(カメラメーカー)。その翌日も負け、相手は日立武蔵だった。これを契機にニチボー貝塚は凋落し、代わって、日立武蔵が天下を取った。

日立武蔵

通っていた中学校は伝統的にバレーボールが強く、特に男子バレーボール部は、都大会で何回も優勝した強豪だった。中学二年の時、この中学に日立武蔵がやってきたのである。男子バレーボール部と親善試合をするということで、体育館の中は見学する生徒で溢れかえった。男子9人と女子6人の変則ゲームだったが、まったく歯が立たなかった。体格的にも劣り、明らかに手加減してくれているのに、スパイクをまともに受けることも返すこともできなかった。「あれは女じゃない」と思った。

日立武蔵は日立バレー部と名前を変えたが、一貫して指揮をしていたのは山田重雄監督だった。一度、この人の講演を聞いたことがある。知的な闘将のイメージだったが、しゃべらせると全くダメな人で、「娘が来ると選手が嫉妬しまして...」みたいは取るに足らない話を延々と聞かされた。栄華を極めた日立バレー部だったが、今はもう存在しない。そう言えば、上野由岐子を擁した日立高崎ソフトボール部もビッグカメラに譲渡された。ボロボロの東芝が伝統の野球部を今も守り通しているというのに、日立はどうにも堪え性がない。


記:2020年02月