
東京オリンピックの頃、昭和30年代後半の生活で思い出されるのは、白黒テレビ、木製の氷冷蔵庫、銭湯、汲み取り便所。生活排水は浄化されることなく川に垂れ流されており、川で泳いで赤痢になったという話も珍しくなかった。内風呂がある家も電話のある家もまだまだ少なかった。
その当時の食生活といえば、ごはん、みそ汁、魚、野菜の煮物、漬物の一汁三菜が定番で、肉が食卓に上がることは稀だった。そのせいか、肉の記憶が著しく希薄だ。ハムカツ、コロッケ、ポテトフライの記憶はあっても、トンカツの記憶がない。ラーメンの値段は50円ぐらいだった。
1968年(昭和43年)に放映されたドラマ「3人家族」に当時の暮らしぶりが見て取れる。ラーメン屋のシーンで、背後に張られたメニューに、ショーユラーメン100円、シャーシューメン150円と書かれている。東京オリンピックから4年経って、ラーメンの値段が倍になった。
この家族の食卓の定番が、野菜炒め、辛いカレー、サバの味噌煮。時折兄が崎陽軒のシューマイを買って帰ると、弟が「またそんなもの買って」と叱責する。崎陽軒のシューマイは無駄遣いなのである。食卓にトンカツが上がると「今日は豪勢だな」、そんな会話になる。肉が少し身近になってきた時代である。とはいえ、まだまだ高級品で、ビフテキは高級料理の代名詞だった。
子供にとっての御馳走は、何と言っても、カレーだった。肉が入っていたかどうかは疑わしいが、臭いを嗅いだだけでワクワクした。我が家のカレーは、「グリコワンタッチカレー」だった。割と最近、復刻版で「グリコワンタッチカレー」のレトルトが発売された。懐かしくて買ってみたが、酷く不味かった。暮らしが豊かになるにつれ、食生活も変わり、すっかり舌が肥えてしまったらしい。
角館の名物に「あいがけ神代カレー」というのがある。昭和のカレーと平成のカレーを一皿に盛り付けたものである。名物だから食べてみたら、昭和のカレーは、色が黄色いだけで、味は平成のカレーだった。
記:2020年03月