
中学の修学旅行は京都・奈良で、修学旅行専用列車「ひので」を利用した。品川から京都まで7時間半の旅だった。修学旅行で新幹線が使えるようになったのは1971年からで、初めて新幹線に乗ったのも1971年の高校の修学旅行だった。高校時代まで、関西は海外と同じぐらいにまったく馴染みのない、遥か遠方の土地だった。
混沌とした時代だった。
大阪万博が行われたのは、1970年の3月15日から9月13日までの半年間である。空前の6,422万人が来場し、大成功を収めた。最も人気を博したのはアメリカ館で、アポロ12号が持ち帰った「月の石」が大きな話題になった。
大阪万博の前年、1969年には東大安田講堂事件があった。これを境に学生運動は下火になり、学生のノンポリ化が加速していった。一方で、取り残された極左と呼ばれる連中が過激化し、1971年以降、内ゲバによる殺し合いや数々のテロ事件を引き起こすようになった。1970年はその狭間の年だが、平穏だったわけではない。大阪万博開幕直後によど号ハイジャック事件が起きた。日本初のハイジャック事件である。また、2件の歴史的猟奇事件も起きている。ひとつは、瀬戸内シージャック事件。犯人が射殺される模様が全国に生中継された。もう一つは、三島由紀夫の割腹自殺である。世界も混とんとしていた。北ベトナムがカンボジアに武力侵攻した。ベトナム戦争でアメリカを非難し北ベトナムを支援していた連中(ベ平連)は立場がなくなった。大阪万博はこんな世相の中で行われたのである。
遠方で開催されている万博には興味もなかったし、周りにも万博に行ったという人はいなかった。万博で思い出すのは、「太陽の塔」でも「月の石」でもない。東西冷戦時代を明るく能天気に歌った、三波春夫の「世界の国からこんにちは」だけである。
こんにちは こんにちは 西の国から
こんにちは こんにちは 東の国から
こんにちは こんにちは 世界の人が
こんにちは こんにちは さくらの国で
一九七〇年のこんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう
記:2020年05月