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伊勢修養団の効用


伊勢修養団研修所

修養団は1906年に設立された国家主義に基づく社会教育団体で、戦前は軍部や右翼から強い支持を受け、国民精神総動員運動の一翼を担っていた。戦後は一転、愛社心を養生するための企業教育が主体となり、伊勢神宮の前を流れる五十鈴川に飛び込む「みそぎ研修(水行)」で有名になった。今でも、日立グループ、トヨタ車体、 東芝、三菱電機、 松下電器産業などが社員研修に利用している。

研修所は伊勢神宮の前にあり、研修は3泊4日の日程で行われていた。修養団に参加した人間は決まってこう言う、「とてもいい経験をさせてもらいました。次は是非アイツを行かせてやってください」。修養団に参加したのは、昭和61年3月のことだった。当初は先輩の主任が参加するはずだったが、業務都合で参加できなくなり、「是非アイツに」でお鉢が回ってきた。「やられた」と思った。

伊勢修養団集合写真

白い体操着に着替え、愛汗と書かれた鉢巻を頭に巻いて、研修に参加した。最初に行ったのは童心行、子供の頃の素直な自分に戻ろうということで一心不乱にお遊戯を行う。馬鹿馬鹿しくて、やっているふりだけしていたら、隣で髪を振り乱しながら踊っている中年の男性がいた。「ここに来たらこれぐらいやらなければいけないのか」と思い直し、真面目に踊ることにした。後で、その男性が修養団の教師であることを知ったとき、「やられた」と思った。

200人近い研修生の中で最も多かったのが、トヨタ系の部品メーカーに就職予定の高校生だった。部品メーカーは共同で採用活動を行い、研修終了後、それぞれの会社に配属するらしかった。次に多かったのがマハラジャの若い従業員。ホストのようなチャラチャラした感じの若者が多い中で一人だけ雰囲気の異なる小太りの男がいた。彼は厨房担当で、「松阪牛といって出しているが、実はアメリカ産」と嘯いていた。

食事は大広間でいただく。いただく前に「天地一切の恵みとこれを作られた方々の苦労に感謝します。いただきます。」と唱和する。そして、「残してはいけません。食べきれない場合は、周りの人が食べてあげなさい」と言われた。隣を見ると若い女の子がうなだれていた。食事が食べきれず、まるで罪にさいなまれているようだった。彼女の目の前には、歯形がくっきりついた食べかけのトンカツがあった。「これを食うのか」、暗い気持ちになった。

水行は最終日前日の夜に行う。ふんどしにビーチサンダル姿で、五十鈴川の河原に集合した。入水前に「天突く体操」を行う。「天を突け」の掛け声と同時に、奇声をあげながら拳を天に向かって突き上げる。いくら突き上げても、喉が痛くなるだけで、体は少しも温まらなかった。
水に入れ」の掛け声。心の準備ができないまま、後ろから押されるように川の中に飛び込んだ。暗闇に絶叫が響き渡る。膝まで浸かっただけなのに、頭はひどく混乱した。冷たいというよりも痛いという感覚だった。再び、「水に入れ」の掛け声。その場でしゃがみ込んで、肩まで水に浸かった。頭の中は「今日で死ぬ」を繰り返していた。
和歌の朗詠」の掛け声。明治天皇御製の「五十鈴川 清き流れの すえ汲みて 心を洗へ 秋津島人」を早口で2回唱えた。「終わった」と思ったら、無情にも「声を合わせてもう一度」の声。ただ、この頃には冷たさにも慣れてきて、周りを冷静に見れるようになっていた。すべてを終えて部屋に戻ると、「明日からは真面目にやろう」と妙に潮らしくなっていた。

最終日は、一般には入ることのできない内宮を参拝し、昼食のカレーライスを食べて、解散となった。帰りの電車は期せずして酒盛りになり、「真面目にやろう」と思った誓いは半日しか持たなかった。


記:2020年05月