
名馬物語というは、馬の強さや賢さを礼賛するのが一般的だが、日本の場合はそれだけではない。馬を擬人化し、時に人生を重ね、感動的な物語に仕立ててゆく。オグリキャップに涙するのは、血統の悪さや地方競馬出身というバックボーンがあるからだ。こういう競馬の見方は寺山修司が始めたもので、負け続ける馬にも生き様があり、強さだけでは味わえない感動があることを教えてくれた。
かつて中央競馬会にはマル父という呼称があった。父親が国産馬という意味である。少し前までは、名馬でも種牡馬としては冷遇された時代があった。三冠馬シンザンでさえ、繁殖牝馬を集めるのに苦労したほどだった。日本血統を守るために、中央競馬会は国産馬を父持つ馬を優遇する措置をとった。それがマル父で、出走するだけで奨励金が貰えた。それでも、マル父の活躍馬や良血馬はとても少なかった。同じようなものに、マル市、マル抽というのもあった。マル市とはセリで購入された馬のことで、当時は買い手のつかない馬がセリに出された。マル抽は、中央競馬会がセリで購入した安馬を、抽選で馬主に売却した馬のことだ。売れない馬の在庫処分のような制度だった。
イナボレスという馬がいた。彼には、マル父、マル抽の烙印が付いていた。さらにもうひとつ、サラ系の烙印もあった。サラ系とは純粋なサラブレッドではないという意味だ。つまり、イナボレスはとびっきりのクズ馬だったのである。
血統の悪さから、2歳の時から酷使され、7歳で引退するまで、実に76戦に出走した。馬主が政治家で、選挙が近くなると出走回数が多くなるといわれた。付けられたあだ名が「走る労働者」だった。
イナボレスは生涯で4つの重賞に勝った。3歳のオールカマー、5歳の金杯と目黒記念は、いずれも軽ハンディを生かしての勝利だった。穴馬が来ただけのことだが、寺山修司的視線で見れば、クズ馬が良血馬をなで斬りにした反逆、反骨のレースということになるのである。6歳の暮、4つ目の重賞に勝ったが、それはマル父限定の愛知杯だった。老いたイナボレスが、戦いを諦めてしまったかのようだった。
7歳の暮れまで走って引退、引退後は中央競馬会の誘導馬になった。重賞を5勝した馬は引退式を行うことができる。イナボレスは4勝だったが、特例で、引退式が行われることになった。誘導馬になる馬の引退式は前代未聞のことだった。その模様はラジオの実況放送で聞いた。万雷の拍手に迎えられ、イナボレスは冬枯れの東京競馬場を走り抜けた。中央競馬会もたまには粋なことをする。
記:2020年06月