
初めてスキーに行ったのは1980年の冬、志賀高原の熊の湯スキー場だった。悪戦苦闘の末、帰るころにはなんとかボーゲンができるようになっていた。2度目のスキーは同じ年の栂池。調子に乗ってスピードを出しすぎて転倒、足首を捻挫した。これに懲りて、暫くはスキーに行かなかった。3度目のスキーは2年後の苗場。行きたくはなかったが付き合いで参加した。ここの急斜面で横滑りを覚えた。横滑りができると、どんなところでも降りられるようになり、スキーが楽しくなった。
当時は車も免許も持っていなかったため、誘われるのを待つ身だった。なかなかお誘いがなかったため、電車を使って一人でスキー場に行くようになった。上野発6時53分発の「急行ゆけむり1号」に乗り、目的地の越後中里に着くころには10時を過ぎていた。駅とゲレンデが直結しており、駅のロッカーで着替えれば、日帰りスキーが楽しめた。やがてこれにも飽きて、終点の石内まで行って、民宿に1泊するようになった。
石内後楽園スキー場に行った時のことである。泊まった民宿は、部屋にテレビも置いてない薄暗い6畳間で、食事は食堂のダイニングテーブル、夕食のメニューはトンカツだった。おそらく、ここで人生最初のコシヒカリを食べたのである。貧相な民宿で出てきた極上のごはん。あまりの美味さに驚き、トンカツのソースでご飯が汚れるのがたまらなく嫌だった。
1978年まで、日本全国の作付面積の第1位を占めていたのが、日本晴という品種だった。子供のときから、コメと言えば日本晴だった。1979年からコシヒカリが日本晴に変わって1位になった。今では当たり前に食べられるようになったコシヒカリだが、それでも、炊き立てのご飯で作るカレーやカツ丼には抵抗がある。
記:2020年08月