
2007年2月
「ご当地鍋を食べに行こう」
この頃は温泉よりも鍋で、最初に候補に挙がったのが北茨城の鮟鱇鍋だった。普通に考えれば、温泉宿に泊まって鍋をつつくパターンのはずだが、この時は昼食に鮟鱇鍋を食べる計画を組んだ。
「北茨城で一番美味しい鮟鱇鍋」で検索していたら、グルメ通らしき人のブログに「入船」という店が出てきた。店のHPはなく、「食べログ」にも「ぐるなび」にも記載はなかった。Googleのストリートビューもまだ始まっていない頃で店の様子も分からない。宿ではないから夕食というわけにもいかず、昼食では酒も飲めない。他を探すべきだが、「一番美味しい」の一文に抗しきれなかった。
2月10日(土) 10:00
川崎駅で合流
待ち合わせは川崎駅。
川崎駅までは電車で移動した。そこでF君と合流。F君は当時川崎に住んでいた。
しばらくして、S君のムラーノがやってきた。すでにM君とT君が同乗していた。ムラーノは新車で、旅行の目的には新車のお披露目も含まれていた。
5人乗ると後部座席は3人掛けになる。ムラーノは大きな車だが、それでも大人3人はひどく窮屈だった。
2月10日(土) 11:00
今回もビンテージバイクで参加
常磐自動車道・守屋SAでO君と合流。今回も自慢のバイク「カワサキ750SS MACH Ⅲ」で参加。
全員揃ったところで、車の中から「入船」に予約の電話を入れた。店の返事は、「13時半以降ならば大丈夫」ということだった。しかたがないので、食後に予定していた観光を前倒しすることにした。
2月10日(土) 12:00
震災前の五浦六角堂
五浦六角堂、正式名称は「茨城大学五浦美術文化研究所」。五浦は「いづら」と読む。
1955年に岡倉天心の遺跡(旧天心邸・六角堂・長屋門)が茨城大学に寄贈された。国の登録文化財として認定されていたが、2011年3月の東日本大震災による大津波の直撃を受け、六角堂は基礎部分以外すべて流出した。その後、2012年4月に再建された。
長屋門をくぐってすぐ左側に展示室天心記念館がある。ここで岡倉天心の人となりを勉強したら、松林を下って六角堂を目指す。建物の中には入れず、ガラス越しに中を覗くだけだ。覗いてみたところで、中は畳が敷かれているだけで何もない。
正直、面白くもなんともなかった。
五浦六角堂の海を挟んだ向かい側にあるのが五浦岬公園。公園の入口からまっすぐ歩くと岬の先端に出る。展望台まで登れば、五浦海岸の全景が望める。
六角堂は側で見るよりも風景の中で見るほうが断然いい。
2月10日(土) 13:30
幻となってしまった鮟鱇鍋の名店
時間になったので入船を探した。
店は平潟漁港近くの一軒家で、目の前は太平洋。道幅は車一台やっと通れるぐらいで、しかも駐車場は3台分しかなかった。大きなムラーノには難儀な場所だった。
東日本大震災による大津波で店は全壊し、今も更地のままである。身内に犠牲者が出たらしく廃業したようだ。
小さな店で、入口付近にカウンター席が数席と奥に座敷があった。6人なので座敷に案内された。
約束の時間に来たのに、鮟鱇鍋の準備には時間がかかるとかで刺身を勧められた。押し売りのような印象だったが、これがこの店のルールだったのだろう。
刺身の盛り合わせには、具材の横に「マグロ」、「ハマチ」などの名前が書かかれた名札が添えられていた。
お茶で刺身というわけにもいかず、ドライバーには申し訳ないと思いながらも、ビールを注文した。その他にも一品料理を追加で頼み、鮟鱇鍋が出てきた時には結構できあがってしまった。
鮟鱇鍋はいわゆる「とぶ汁」で、肝を溶いたスープに具を入れていく。濃厚だがとても美味かった。
食べ終わった時は16時にちかく、店に入って2時間以上経過していた。こんな長い昼食は経験がない。
2月10日(土) 16:30
パズル王の誕生日
この日の宿は「神白温泉 国元屋」。
明治16年創業の老舗旅館で、「入船」からは車で30分の距離にある。最近リニューアルされてモダンな宿に様変わりしたが、この頃は昔ながらの古い日本旅館だった。玄関にあの頃の雰囲気が残っている。
食事は天婦羅や刺身などありきたりのものばかりだったが量は多かった。いかんせん、鮟鱇鍋から3時間も経っていないので、とても食べきれなかった。
2月はM君の誕生月ということで各々プレゼントを用意してきた。なかでもF君が用意した「知恵の輪」で盛り上がった。この頃、M君は「パズル王」を自負していた。しかし、この「知恵の輪」がどうやっても解けず、その権威はもろくも失墜した。
朝になるとM君の枕元で「知恵の輪」が外れていた。悔しくて夜通しやっていたのかもしれない。M君曰く、「あの後すぐ解けたよ」。でも、誰も信用しなかった。
2月11日(日) 10:00
極楽浄土
翌朝、福島県唯一の国宝建築物白水阿弥陀堂に行った。
平安時代後期の代表的な阿弥陀堂建築。藤原清衡の娘・徳姫が、夫 岩城則道公の供養のために建立したといわれている。池を渡っていくと阿弥陀堂がある構成は浄土式庭園といい、平泉の毛越寺を彷彿させる。
雰囲気はとても良かったが、お堂がひとつあるだけなので拝観は30分足らずだった。
2月11日(日) 11:00
フラガールの聖地
旅の終わりはスパリゾートハワイアンズ。
外は真冬、中は南国、そして、猛烈な湿気。ロッカーで夏の出で立ちに着替えてから遊ぶところなのだろう。そうとは知らず、冬支度のまま中に入ってしまったので極めて不快だった。大露天風呂でようやく裸になれたが、風呂から上がればまた冬支度。フラガールを見ることもなく、早々に外に出てしまった。
時間的に施設の中で昼食をとったはずだが、憶えていない。
O君とはここで現地解散、ムラーノも帰路に着いた。多分、川崎で降りたと思う。
(完)
「スパリゾートハワイアンズ」は東日本大震災で施設に大きな被害が受けた。さらに、1ヵ月後の福島県浜通り地震では施設直下の断層が同時多発的にズレ動き、本震よりも深刻な被害を出した。これにより、長期間の休業を余儀なくされた。休業中は、震災復興への願いを込めて、「フラガール全国きずなキャラバン」を日本各地で開催した。2012年2月8日、約1年ぶりに全面開業した。
2011年10月の最上川観光の際、JR新庄駅で「フラガール全国きずなキャラバン」を偶然見る機会があった。休業中という事情を知らず、震災の慰問で各地を回っているものだと思っていた。
記:2018年1月