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2009年2月

伊豆修善寺


「鮟鱇鍋」の次は「ぼたん鍋」。
猪肉の三大産地とされるのが、兵庫県・篠山市、岐阜県・郡上市八幡町、静岡県・天城山である。最寄りの天城山周辺で「ぼたん鍋」が食べられる温泉宿を探した結果、吉奈温泉の「東府屋」がよさそうだった。吉名温泉は「子宝の湯」として知られ、徳川家康の側室お万の方が子宝祈願で滞在し2児を授かったことから全国的に有名になった。吉奈川沿いには3軒の旅館があり、その代表格が「東府屋」である。この宿を中心に旅行の日程を組んだ。修善寺から天城越えの旅である。


2月7日(土) 11:00
修善寺駅に集合

伊豆箱根鉄道

伊豆箱根鉄道の駿豆線(すんずせん)は、三島駅から修善寺駅まで19.8kmの路線で、地元では社名をもじって「いずっぱこ」と呼ぶらしい。「いずっぱこ」の終点、修善寺駅で合流することにした。

S君、M君、T君は車で、O君は自慢のバイクでやってきた。F君と私は電車で修善寺駅に行き、S君の車「ムラーノ」に同乗した。


2月7日(土) 11:30
ぼったくりに会う

修善寺温泉散策マップ

修善寺温泉は今から約1200年前に弘法大師(空海)が発見した温泉で、湯どころ伊豆の名門である。修善寺駅から温泉街までは10分ぐらいの距離である。

車は滝下橋近くの修善寺温泉駐車場に停め、そこを拠点に温泉街を散策した。
修禅寺、竹林の小路、朴念仁の3か所に立ち寄ったのは間違いないが、散策ルートの記憶があいまいだ。赤線のように歩ければ効率的だが、そうではなかったような気がする。



独鈷の湯

伊豆最古の温泉ともいわれる独鈷の湯は工事中だった。

独鈷の湯はもともとは温泉地区を流れる桂川の川中にあった。川中に突き出たその形状のために、豪雨の際に流れが阻害され、氾濫を引き起こす原因となりかねないとして、2009年4月に19m下流の川幅の広い位置に移動させられた。おそらくその工事中だったのだろう。現在は見学のみで入浴不可となっている。


朴念仁

朴念仁は、極細の十割蕎麦と桜エビのかき揚げが人気の店である。建物は古い旅館を改装したもので、客席からは竹林の小路が見える。昼時とあって混雑していた。随分待たされたように記憶している。席に着くと、定番のせいろとかき揚げを注文した。M君が「ここのかき揚げはでかいよ」と言うと、店員のお姉さんが「そんなに大きくないですよ」と否定した。M君の勘違いの理由はすぐ分かった。旅行雑誌に掲載されていた蕎麦とかき揚げの写真を見れば確かにでかく見える。実はそうではなく、蕎麦が小さかったのである。小鉢1杯程度の量しかなかった。少量の蕎麦と小さなかき揚げで、料金は2千円以上取られた。無性に腹が立った。


2月7日(土) 13:30
窮屈なドライブ

修善寺と戸田を結ぶ県道18号沿いにあるだるま山高原レストハウスを目指した。ここは、駿河湾越しの富士山の眺望が素晴らしい絶景スポットとして有名である。

修善寺からしばらく山道を走るとT字路に出た。「だるま山高原レストハウス」は左だが、間違えて右に行ってしまった。すぐ間違いに気付いてUターンしたが、O君のバイクはそれに気付かずどんどん先に行ってしまった。ゴルフ場の先まで行って、ようやく異変に気付いたらしい。バイクは孤独な乗り物である。
この日の駿河湾は視界が悪く、富士山もはっきり見えなかった。


西伊豆スカイライン

西伊豆スカイラインは、戸田峠から土肥峠間の稜線上を通る道路で、見晴らしが良く、富士山や駿河湾を望むことができる絶景ラインとして人気がある。O君のために、このルートを選んだ。

しかし、ムラーノの後部座席は窮屈な3人掛けで、この時ばかりは少々無謀だった。西伊豆スカイライン、国道136号、国道414号(下田街道)はいずれもカーブが連続する山道で、曲がるたびに体がぶつかり合った。加えて、国道136号と国道414号が交差する付近は大渋滞で、さながら苦行のようだった。この交差点を過ぎれば「東府屋」まではもうわずかだった。


2月7日(土) 15:00
定番の観光スポット

チェックインには少し早いので、浄蓮の滝を見に行った。日本の滝百選の一つで、定番の観光スポットである。午後の3時なのに駐車場にまだ多くの車が停められていて、傍らの土産物店からは石川さゆりの「天城越え」がガンガン流されていた。滝は急な階段をかなり下った先にあった。想像していたよりも小さく、落差が25mもあるようには見えなかった。また、滝の脇には「天城越え」の歌碑があるのだが、それにも気づかなかった。人影に隠れて見えなかったのだろう。歌碑は2001年の建立だが、わずかの間に全体が苔むしてしまった。滝下の湿気は半端ではないようだ。


2月7日(土) 16:00
当時は高級日本旅館

当時の東府屋は伝統的な日本旅館で、玄関には歓迎看板があり、中に入れば陣太鼓で出迎えてくれるような旅館だった。それが今は、「東府や Resort & Spa Izu」という名前の高級リゾートに変わっていた。昔のままでよかったのに、どうしてこんなに変えてしまったのか理解に苦しむ。

歓迎看板
日本旅館の定番、「○○様御一行」


浴室は玄関棟の奥にあり、大きな露天風呂が吉名川沿いに作られていた。客室は吉名川の対岸にあり、玄関棟とは渡り廊下でつながっていた。
宿泊した部屋は蔵を改造したもので、1階が囲炉裏のある食事処、2階が座敷になっていた。コテージを1棟借り切ったような特別感があった。

メゾネット「蔵の間」
1階は昔の雰囲気を残しているが、2階は洋間に改造された


2月7日(土) 18:30
期待外れのぼたん鍋

囲炉裏を囲んでの夕食になった。囲炉裏の熱源は薪や炭火ではなく、ガス台が灰の中に置かれていた。囲炉裏である必要はないが、雰囲気は悪くなかった。
ぼたん鍋は醤油仕立てで、すき焼きのように玉子にからめる食べ方だった。猪肉は、臭みは感じなかったが、固くて期待したほど美味くはなかった。その他の料理も存外平凡なものだった。

朝食は囲炉裏でなく大広間だった。味噌汁のかわりに出てきたのは湯豆腐。朝から湯豆腐というのは新鮮で、ぼたん鍋よりも美味く感じた。


2月8日(日) 8:00
天城越え

天城隧道

翌朝、国道414号を河津を目指して走りだした。

伊豆半島の成り立ちが面白い。100万年~300万年ほど前、太平洋に浮かぶ島の一つが本州にぶつかって出来たのが伊豆半島だという。富士山も箱根山もその過程でできたらしい。その伊豆半島は天城山によって南北に分断されており、天城山の峠を抜けるルートは難所として知られていた。1905年に天城隧道が完成したことで自動車も天城峠を抜けられるようになった。2001年、天城隧道は道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定された。

天城隧道は今回の観光から除外した。車のすれ違いもままならない荒れた山道であることに加え、その先には河津七滝ループ橋がある。ムラーノ後部座席の苦行はまだ続いていたからだ。


2月8日(日) 9:30
河津は春の気配

下佐ケ野で下田街道(国道414号)から県道14号(下佐ケ野谷津線)に入り、河津に向かった。

河津は桜まつりで賑わっていた。毎年2月10日前後から1か月間開催している。河津駅近辺の河口から河津川にそって約3kmにわたる河津桜並木があり、その周辺に多くの屋台・露店が出店していた。この時は開幕直後だったが、桜はほぼ満開だった。

河津桜まつり
河津川沿いには800本もの桜が咲き、毎年100万人が訪れる


2月8日(日) 10:30
東洋一の大噴湯

河津町には「東洋一の大噴湯」と言われた峰温泉がある。毎分600リットル100度の温泉が高さ30mまで噴き上がる自噴水で、発掘されてから約90年ひとときも絶えることなく吹き上げ続けている。2009年1月にこの大噴湯が楽しめる施設「峰温泉大噴湯公園」がオープンした。

訪問したのはまさにオープン直後だった。噴き上げの実演は1日計7回で、1回の噴き上げは1分間ほどだ。10時30分の実演を体験した。
噴湯と同時に悲鳴と喚声が上がった。櫓を遠巻きにしてたつもりでも、予想を超える広さで100度の熱湯が降り注いできた。そして、もうもうたる湯気。大迫力だった。

峰温泉大噴湯
100℃の温泉が地上約30メートルに達する


2月8日(日) 12:00
〆は下田の金目鯛

伊豆下田

昼食は、「ぼたん鍋」が期待外れだったこともあって、下田の金目鯛で豪華に〆ることにした。
店は憶えていない。憶えているのは、漁港に面した店だったこと、上り座敷があったこと、座布団が綺麗だったこと、ぐらいだ。これを手掛かりに下田の飲食店を調べたところ、「味処 旬」だった可能性がある。お品書きに、「地金目鯛煮定食 2,700円~」がある。これを食べたのだろうか?

帰りは大渋滞に巻き込まれた。国道135号線をムラーノと並走していたO君のバイクは途中で進路を変更した。伊豆スカイラインを使うことにしたようだった。F君と私は伊東駅でムラーノを降りた。多分、車よりも早く家に着けたと思う。

(完)


河津桜は、1月下旬から2月にかけて開花する早咲き桜で、花は桃色ないし淡紅色、花期が1ヶ月と長い。オオシマザクラとカンヒザクラの自然交雑種であると推定されている。1955年に河津町の飯田勝美が河津川沿いの雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し、それを庭先に植えたことから始まる。現在も原木はこの地に存在している。

この旅行の2年後、河津町まで原木を見に行った。樹齢50~60年といわれ、立派な枝ぶりだった。


記:2018年2月