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2010年2月

角館


旅行の計画は可能な限り綿密に立てるべきである。限られた時間で出来るだけ多くの体験をするための必要な準備である。下調べも怠ってはならない。特に文化財は知って見るのと知らずに見るのではその見え方は大きく変わってくる。一方、行き当たりばったりの無計画旅行を勧める人もいる。理由は、常に次はどうするか考えているので記憶に残りやすく、思い出になるからだという。
M君は無計画旅行派だ。ろくに現金も持たず、カード1枚でどこへでも行ってしまう。彼はそのノリで欧州、南米、果てはアフリカまで行ってしまった。その勇気は敬服に値する。でも、間違いなく言えることが一つだけある。真冬の無計画旅行だけはやめるべきである。


2月6日(土)8:50
恐怖の無計画旅行の始まり

秋田空港

「次はきりたんぽ鍋」、ご当地鍋を求める旅はまだ続いていた。秋田空港に着いたのは8時50分。あたりは一面の銀世界で、激しく吹雪いていた。

幹事のM君は今晩泊まる宿と往復の飛行機以外は何も決めていなかった。ガイドブック片手にその場で決めると言っていたが、秋田まで来たのに次にやるべきことを決めかねていた。

「とりあえず、秋田駅まで行こう」

「とりあえず」は無計画旅行の常套句である。


秋田広小路

秋田駅に着いたのは9時45分。ここまで来てもまだやることが決まっていない。降りしきる雪の中、完全に旅行難民になってしまった。

西武秋田店の広小路入口に身を潜めた。ここは屋根があり、風雪が凌げた。そして10時になるのを待った。10時になれば西武が開店し暖がとれる。さながらホームレス、とても惨めな気分になった。


2月6日(土)11:00
旅行難民

佐藤養助

西武秋田店のB1は、秋田物産店と飲食店が入居している。

「とりあえず、飯を食おう」

また、「とりあえず」だ。でも、飲食店のオープンは11時だから、それまで土産物屋で時間潰しするしかない。買うあてもない1時間の暇つぶしはさすがに長い。11時なった瞬間に店に飛び込んだ。入店したのは佐藤養助秋田店、稲庭うどんの老舗である。


きりたんぽ鍋

稲庭うどんと「きりたんぽ鍋」がセットになっているメニューがあった。「いぶりがっこ」までついている。これを注文した時点で旅行の目的はすべて完遂し、もはやここにいる理由さえもなくなった。

食後の話題は、この後どうするかということだ。このまま帰ろうという意見も出たが、
「とりあえず、男鹿に行こう」
S君の実家が男鹿にあり、実家の車を借りて男鹿半島をドライブしようということだった。S君は乗り気ではく、S君の実家の反応も「なんでこんな日に」というものだった。それでも他にやることが見つけられず強行することになった。

M君が電車の発車時刻が迫っていると言うので慌てて店を出た。駅に行ってみると、電車の発車時刻は1時間も後だった。このつまらない勘違いで、再び旅行難民になってしまった。
暖を取れる場所を探したら、駅ビルの中にロッテリアがあった。コーヒー1杯で1時間の暇つぶしは店にとっては迷惑な話だが、そんなことを気にしている余裕はなかった。


2月6日(土)14:20
凍り付く列車

秋田駅と男鹿駅を結ぶJR男鹿線は「男鹿なまはげライン」の愛称が付けられている。秋田市内を出ると非電化区間になるので、車両はキハ40系ディーゼル車が使用されている。2017年3月4日のダイヤ改正で、新たに交流型蓄電池電車EV-E801系が導入された。電化区間(秋田市内)で充電し、非電化区間は充電した電力で走る方式である。乗った感じは電車と同じだという。

この時はまだキハ40系車両だった。男鹿行きの電車はS君の実家のある脇本駅まで定刻どおりに運行した。ここでS君は実家の車を借りるために下車、残りのメンバはこのまま男鹿駅まで行くことにした。ところが、電車はこの寒さでブレーキが凍り付き、立ち往生してしまった。男鹿駅に着いたのは14時20分、S君の軽自動車が駅前で待ちくたびれていた。

男鹿駅
男鹿線終点の駅、東北の駅百選


2月6日(土)14:50
真冬の男鹿半島をドライブ

車は入道崎を目指して走りだした。

男鹿半島は山が海に迫る急峻な地形で、狭い海岸沿いを県道59号が走っている。県道沿いのところどころに漁港があり、その周辺に小さな集落が形成されている。椿漁港の少し先にゴジラ岩がある。

ゴジラに見えないこともない。パンフレットで見るゴジラ岩は反対側(海側)から撮ったものである。この日の日本海は大時化で、とても反対側に行くことなど考えられなかった。


2月6日(土)15:30
人生観を変えた猛烈なシベリアおろし

海岸線は戸賀漁港まででその先は道がない。ここで県道59号は山を登り、県道121号と交差する。県道121号の先にあるのが入道崎である。断崖絶壁を走る県道121号は、夏なら絶景だが、この日は恐怖でしかなかった。アイスバーンでスリップし、そのまま崖下に落下するのではないかとヒヤヒヤした。

入道崎には誰もいなかった。土産物屋もすべて閉まっていた。車から降りると、待っていたのは強烈なシベリアおろしだった。灯台に向かって歩き出したが、なかなか前に進めず、さらには口のまわりの空気が吸い取られて息苦しくなった。風に背を向けると、今度は背中を殴られているような強い衝撃を感じた。たまらず車に逃げ帰った。このあまりの経験にしばらく放心状態だった。


男鹿半島のドライブは入道崎灯台を遠目に見ただけで終わった。S君の実家に車を返し、脇本駅から秋田行きの電車に乗った。秋田駅に着いたときには、あたりはすっかり暗くなっていた。

ここでまたミスに気付いた。頼みの綱のガイドブックを車に置き忘れてしまったのだ。旅の行方はいよいよ混沌としてきた。



2月6日(土)18:30
宿は経営再建中のホテル

ハイランドホテル山荘

この日の宿は田沢湖高原にあるハイランドホテル山荘。秋田からは新幹線で田沢湖駅まで行き、そこからはタクシーだった。
宿に着いたのは18:30、風呂に入る間もなく夕食になった。夕食は炉端会席で、専用のお食事処に案内された。鍋は芋鍋、きりたんぽは焼いて食べた。その他は憶えていないが、かなり量があったように思う。

ハイランドホテル山荘は前年の10月に倒産している。都内のコンサルタント会社が競売により落札し、事業を継続したらしい。経営悪化で施設のメンテナンスが行き届かなかったのか、岩風呂は熱くて入れず、露天風呂は故障で入浴禁止になっていた。


2月7日(日)9:50
江戸時代にタイムスリップ

翌朝、角館に行った。一晩話し合った結果だから、ここだけは間違いがなかった。

角館に着いたのは9時48分、田沢湖駅から在来線で40分の距離である。天気は相変わらず悪かった。
駅の横に観光協会の建物がある。地図を貰いに入ってみると中は随分混雑していた。韓国人の団体が来ているようだった。

田沢湖線
秋田県の大曲駅から岩手県の盛岡駅を結ぶ鉄道路線


角館は武家町(内町)と町人町(外町)が明確に分けられている。武家町は深い木立が覆われ、明治以降の近代化を拒否してきた街並みが残り、一方の町人町は小さな店が密集し、昭和の雰囲気が漂う。武家屋敷までは徒歩20分、町人町を抜けると突然雰囲気の異なる街並みが現れる。

見学できる武家屋敷は6件で、冬は3件だけが見学可能である。代表格が青柳家で、3000坪の敷地内には、母屋、武器蔵、青柳庵(秋田蘭画)、秋田郷土館、武家道具館、企画展示館、ハイカラ館(アンティークギャラリー喫茶)などがある。


青柳家の見所は3万点を超える展示資料である。よくこんなに残っているものだと感心した。
ただ、中には眉をひそめたくなるものもあった。それは、太平洋戦争の遺品に関連するコレクションだ。出征兵士の垂れ幕や、軍服・勲章、軍人が装備した小物類などを展示していた。家に伝わったものというよりも収集したものなのだろう。武家屋敷の展示にふさわしいものとは思えなかった。古いレコードや書籍の展示も同様だ。

見学の最後に、ハイカラ館の喫茶室でコーヒーを頼んだ。駅からずっと歩きっぱなしだったせいか、長い時間くつろいでしまった。


武家町を抜けて檜木内川の川堤まで来た。
檜木内川堤のソメイヨシノは1934年(昭和9年)に当時の皇太子(今上天皇)の誕生を祝って植えられたものである。春には約2キロメートルにわたる桜のトンネルが形作られ、国の名勝にも指定されている。そんな川堤も冬は積雪で足を踏み入れることもできなかった。

帰り道は違う道を使った。松本家の少し手前に「もっちりまんじゅう」という小さな店があり、角館名物の「なると餅」を買った。食べながら歩いたような気もするが、よく覚えていない。


2月7日(日)12:30
角館のB級グルメ

神代カレー

昼食は角館駅前にある「さくら小町」という店でとった。注文したのは「神大カレー」、昔風のカレーと現代風のカレーをひと皿に盛りつけたものである。2009年全国B-1グランプリ4位になっている。

昔風カレーは、昭和30年代のご当地・仙北市神代地区でつくられていたカレーだというが、それは嘘だと思っている。なぜなら、色が黄色いだけで味は今のものと変わらなかったからだ。
グリコワンタッチカレーの復刻版がレトルトで販売されたことがある。懐かしく買ってみたが、驚くほど不味かった。暮らしが豊かになり、食生活も改善され、舌もすっかり肥えてしまった。貧しかった時代のものを美味く感じるわけがない。


2月7日(日)14:00
昼も夜もB級グルメ

角館から秋田に戻ってきた。
時間は14時。帰りの飛行機に乗るためには、秋田駅18時30発のバスに乗ればいい。あと4時間半もあるのにガイドブックがない。完全に行き当たりばったりになった。

秋田駅から徒歩5分のところに千秋公園(久保田城跡)がある。
久保田城は、常盤源氏の名門、佐竹氏12代の居城であり、複数の廓を備えた神明山の丘陵に築かれた平城である。石垣がほとんどなく堀と土塁を巡らした城で、天守閣をはじめから造らなかった。1880年(明治13年)の火災により大部分の建物は焼失したが、御物頭御番所だけが唯一残った。本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)と本丸表門が再建されている。

そんな予備知識があれば見るところも変わったに違いない。ただの暇つぶしだから、寒い冬の公園を歩いただけだった。


横手やきそば

それから、「ティールーム陶」という喫茶店で暖をとり、アトリオンのB1にある「あきた県産品プラザ」で土産を買い、秋田駅の駅ビルで早めの夕食をとった。夕食は横手やきそばだった。

横手やきそばは、日本三大やきそばの一つでB-1グランプリにも優勝した。茹でたストレートの角麺に片面焼きの目玉焼きがトッピングされている。付け合せに福神漬けが付いてくるのが特長。
食べた店は多分「どん扇屋」である。横手の会社で、秋田駅で本場の味を提供している。


2月7日(日)18:30
二度と経験したくない記憶に残る旅

空港行きのバス停に早めに並んで、何とか4時間半を過ごした。

無計画旅行が記憶に残るというのは本当だった。しかし、あまりにも中身が薄く、やりきったという充実感はなかった。時間をゆっくり使うことは悪いことではないが、暇つぶしに苦労するようでは本末転倒だ。やはり、旅行には計画が必要である。

(完)


能登の間垣

シベリアおろしというのは、冬の日本海から吹きつける季節風のことで、シベリア気団の発達に起因する。シベリア気団は大陸性の乾燥した高気圧だが、日本海を吹き渡るときに大量の水蒸気を取り込むらしい。それが日本列島中央部を走る山脈にぶつかり、積乱雲を発生させ、日本海側に大雪を降らせる。

日本海から吹き付ける冬の風から家屋を守るために、能登では間垣、津軽では雪囲い(かっちょ)がある。男鹿はどうしているのだろう。


記:2018年2月