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2012年7月

知床


知床が世界自然遺産に登録されたのは平成17年(2005年)のことである。世界遺産に登録されると観光客が爆発的に増えるのが通例だが、知床の場合はそうではなかった。斜里町の観光資料によると、観光客数は昭和56年に100万人を超え、平成3年には150万人を超えた。平成10年には過去最高の180万人を記録している。それ以後は減少傾向にあり、世界遺産に登録された平成17年こそ一時的に盛り返したが、平成29年は120万人にまで落ち込んでいる。羅臼町も状況は同じである。知床はメジャーな観光地だが、環境保護政策のため立ち入りに制約が多いのが難点だった。それが世界遺産登録でさらに厳しくなり、客足の減少につながっているという指摘がある。思うようにいかないものだ。

そんな事情はつゆ知らず、2012年の知床旅行の動機はゴルフだった。日本の端にあるゴルフ場を制覇する計画は進行中で、日本最東端だけが残っていた。9ホールの日本最東端は根室ゴルフクラブだが、18ホールでは知床ゴルフクラブなかしべつコースが最東端だった。18ホールから先に制覇することにして、そのついでに、知床観光を付け加えたのである。世界遺産の観光動機としては呆れるばかりである。


7月20日(金)14:00
不思議な景色

知床の最寄りの空港は中標津空港である。羽田からはANAが1便あるだけで、中標津には13時55分に到着する。午後の到着では、ウトロから羅臼を1日で回ることは難しく、年休を取って、2泊3日の旅になった。

中標津は酪農の町で、周辺には「ミルクロード」と呼ばれる長い直線道路が複数存在する。格子状の農地を囲むように防風保安林が配置されており、「根釧台地の格子状防風林」として北海道遺産に認定されている。その不思議な景色は飛行機の窓からも確認できた。

今回のレンタカー
タイムズレンタカー/マツダ・デミオ


7月20日(金)15:20
霧の摩周湖

道道150号と道道1115号を使って、知床の玄関口であるJR知床斜里駅を目指した。道道150号の終点にあるのが裏摩周湖展望台である。裏摩周湖展望台は、弟子屈町側にある展望台よりも標高が低いため霧の発生が少ないという話だったが、展望台に着く前から霧に包まれた。展望台の前には、15台分の無料駐車場とログハウス風の売店とトイレがある。それもはっきり見えないほど濃い霧だった。これでは、湖が見えるはずもなかった。

裏摩周展望台
霧がなくても木が生い茂っていて見えにくいらしい


7月20日(金)15:50
ミステリアス・ブルー

神の子池は、裏摩周展望台から車で30分、道道1115号から林道をしばらく進んだ山奥にある。駐車場から林の中を少し歩くと、目にも鮮やかなコバルトブルーの小さな池が現れる。不思議なのは、池から流れ出ていく水は透明なのに、地下水が湧き出ている池の部分だけが青いのである。空の色が反射している説もあるが、この日の空は厚い雲に覆われていた。有名になるにつれ、マナーの悪い連中が増えたために、2015年12月に、池の周囲に木道が設置されたそうである。

神の子池
水は摩周湖の伏流水と言われているが、色は無色


7月20日(金)16:40
知床の玄関口

道道1115号は清里町に入ると釧網本線と並走するようになる。列車の本数は1時間に1本しかないので、随分長い時間並走したのに列車の姿を見ることはできなかった。知床斜里駅は知床の玄関口らしい綺麗な駅で、2007年に観光案内センターとの複合駅舎に改築された。有人駅だが、ホームには自由に入ることができた。綺麗な駅舎とは対照的にホームは昔のままだった。

オジロワシ青銅像
知床が世界遺産に登録されたことを記念して設置された、アメリカ人彫刻家ロベルト・フリオ・ベッシン氏の作品


7月20日(金)17:30
知床一の大瀑

国道334号(知床国道)をウトロに向かって走り出した。田園地帯を抜け、眼の前にオホーツク海が現れると知床に来たという実感が湧いてきた。しばらくして、国道334号の道端に細長い駐車場が見えてきた。オシンコシンの滝の駐車場で、17時を過ぎているのにまだ多くの車が停まっていた。滝の中ほどの高さまで階段で登ることができる。ここまで来ないと、滝を正面から見ることができない。間近で見る滝はかなりの迫力だ。岩肌をすべるように落ちる姿は袋田の滝と同じだが、こちらのほうが水量が多く、岩肌がゴツゴツしているせいか、水しぶきがすごかった。

オシンコシンの滝
知床八景のひとつ。標高は70メートル、落差は50メートルの分岐瀑。日本の滝100選。


7月20日(金)18:00
夕暮れのウトロ港

ウトロ港に着いたのは18時少し前だった。オロンコ岩のトンネルを抜けると知床観光船「おーろら」の駐車場がある。有料駐車場だが、料金所の係員は16時半までしかいないので、この時間は料金を払わずに中に入れた。車が数台停めてあったが、人影はなかった。山には濃い霧がかかり、この日の営業を終えた「おーろら」が静かに係留されていた。穏やかな夕暮れである。

オロンコ岩
ウトロ港近くにある、高さが60mもある巨岩。


オロンコ岩は知床八景のひとつで、高さ60mの巨岩は、岩というより山のような印象だ。203段の急な石段を上っていくと、頂上は平らで、しかもお花畑のようになっていた。その周りを一周する散策路が設けられており、ウトロの景色を360度見て回ることができた。さっきまで居たウトロ港も眼下にはっきり見えた。

オロンコ岩の急な石段
上から見ると海に落ちそう


7月20日(金)18:20
山あいの静かな温泉旅館

しれとこ村

この日の宿は「しれとこ村」。オロンコ岩からはほぼ直線道路で5分ぐらいのところにある、山間の温泉旅館である。部屋の広さは6畳、トイレは共同、部屋の窓からは山が見えるだけだった。食事処は町の定食屋のような感じで、しかも入り口に近いテーブル席だったので、少し騒がしかった。ただ、食事は毛ガニが一人一杯付く豪華さで、とても美味しかった。隣のテーブルでは、観光バスの運転手らしき人が一人で食事をしていた。食事の内容は我々とは違い質素で、従業員とも顔なじみみたいだった。朝食のときも制服姿の人が他にもいたから、運転手さんの定宿になっているのかもしれない。温泉は少し褐色がかった濁り湯で、熱めのよく温まる気持ちのよい湯だった。

しれとこ村
外見はペンション風だが中は民宿、料金はリーズナブル


7月21日(土)9:00
知床岬航路は運休

発券所

8時50分に宿をチェックアウトし、知床観光船おーろら発券所に行った。観光船のコースは、知床岬の先端まで行く「知床岬航路(所要時間3時間45分」とカムイワッカの滝まで行く「硫黄山航路(所要時間1時間30分)がある。この日は天候が悪く、「知床岬航路」は運休、「硫黄山航路」だけの運航になった。出航時間は10時30分なので、随分時間がある。そこで、近隣の観光を先に済ませることにした。

知床のゴジラ岩
高さが15メートルあり、発券所の近くにある


7月21日(土)9:10
夕焼けの名所

最初に向かったのが、ウトロ温泉街にある知床国設野営場。「しれとこ村」と同じ高台だが、こちらはオホーツク海側にある。場内にはテントがいくつも張られていた。キャンプ場の外れに知床八景のひとつ夕陽台がある。その名の通り夕陽の名所で、朝来るところではないが、昨日のウトロ港の様子では夕陽も見れなかっただろう。

夕陽台
知床八景のひとつ、ウトロ港、オロンコ岩、三角岩の背後で海に沈んでいく夕陽が楽しめる


7月21日(土)9:30
自然保護の拠点

知床自然センターは、昭和63年(1988)、斜里町によって設置された知床財団の活動拠点である。知床財団は、知床の野生生物の保護管理・調査研究、森づくりなどを行ってきた公益財団法人で、活動拠点としてはここの他に、羅臼ビジターセンター、知床五湖フィールドハウス、ルサフィールドハウスがある。知床が世界遺産であり続けるためには、世界遺産委員会から定期的なチェックを受け続けなければならない。2008年の現地調査では最大限の評価を得たが、その一方で、多くの宿題も出された。その中には、将来の気候変動による影響を最小限にするための戦略の策定のような困難なものもある。知床財団の仕事も大変である。


建物の中は、知床財団の運動を紹介する展示だけでなく、売店もあった。珍しい「トド肉の缶詰」を購入したはずだが、味はよく覚えていない。

建物の裏には、フレペの滝までの遊歩道が用意されている。フレペの滝は別名乙女の涙と呼ばれ、高さ約100mの切り立った断崖から染み出した地下水が海へ流れ落ちる滝である。行ってみたかったが、片道約20分(約1km)かかるので断念。また、遊歩道の入口の隣にあったしれとこ100㎡運動ハウスも外観を見ただけで中には入らなかった。


7月21日(土)9:50
もうひとつの夕焼けの名所

知床自然センターからウトロに戻る国道334号の脇にプユニ岬という看板が立っている。ここは展望スポットで、実際の岬はもっと奥で、フレペの滝の方になる。ここも夕陽の名所らしい。確かに、オホーツクの海岸線やウトロ港が一望できるが、濃い霧に覆われ、いつでも美しい夕陽が拝めるわけではなさそうだ。

プユニ岬展望台
駐車帯があるだけの展望スポット


7月21日(土)10:30
知床の海

知床観光船おーろらは定刻通り10時30分にウトロ港を出航した。客席は1階と2階にあり、船内はかなり混み合っていた。眺めのよい展望デッキに移動して、カメラを構えた。こちらも体がぶつかり合うほど混んでいた。乗客には双眼鏡を持っている人も多くいて、何を見に来たのかとても気になった。走りだすと少し肌寒くなった。最初に見えてきたのはプユニ岬である。車では近寄ることのできなかった場所で、先端の形が特徴的だ。

プユニ岬
世界遺産「知床」の構成遺産


プユニ岬を過ぎると、霧に覆われた知床半島の全景が見えてきた。やはり天気はよくない。小さな漁船が数隻、波にもまれながらこちらの船を追い抜いていった。フレペの滝以外にも、岩肌から海に流れ落ちる滝がいくつも見られた。船はすこしづつ陸に近づき、しばらくして、岩肌に大きな穴が開いているクンネポールが見えてきた。

クンネポール
直径が約20mの巨穴で長年の流氷の侵食してできた洞窟


船がこけし岩は近づいた時、急に船内放送が流れた。この先は危険なのでここで引き返すという。カムイワッカの滝まではあと少しだし、海の様子が変化したようにも見えなかった。内心納得できなかったが、不思議と、他の乗客から不満の声は聞こえてこなかった。ありのまま受け入れるのがここのルールなのかもしれない。船は断崖絶壁に近いルートで引き返した。寒くなってきたので、1階サイドデッキに移動すると、運よく空いてる席があった。窓ガラス越しに景色を見ているうちに、船は予定よりも30分早く、ウトロ港に帰還した。


7月21日(土)11:50
ぶどう海老を食す

昼食は国道334号沿いにあるうとろ・シリエトクで取った。ここは、知床番屋をイメージした道の駅で、中には土産物屋、レストラン、海産物の直売店、観光案内などが入っている。レストランは「ユートピア知床」といい、昼食時とあって非常に混雑していた。ざる蕎麦とぶどう海老の刺身を注文した。食べられないほど不味い蕎麦というのは滅多にないが、ここの蕎麦は本当に不味くて最後まで食べられなかった。ぶどう海老は一皿2000円、高いがここでしか味わえないと思い、注文した。美味いことは間違いないが、2000円の価値は感じなかった。

ぶどう海老
深海に生息し、水揚げ量が極端に少ない「幻の海老」


7月21日(土)12:50
キタキツネと遭遇

再び、国道334号(知床国道)を羅臼に向かって走り出した。知床自然センターのところで道道93号に入ると、その先に知床五湖フィールドハウスがある。舗装道路はここまでで、その先は知床公園線といい、交通が制限されている。砂利道を走ること20分、カムイワッカ湯の滝駐車場に到着した。オホーツク海に流れ落ちる滝はカムイワッカの滝で、その上流がカムイワッカ湯の滝である。滝自体が温泉になっていて、硫黄臭はしなかったが、岩肌は黄色く変色していた。昔は上流の滝坪に入浴もできたらしいが、滑落事故があとを絶たないため、今は立ち入りが制限されている。

戻る途中、キタキツネに遭遇した。人馴れしていて、平然と近づいてきた。野生動物に食べ物を与えるのは厳禁だが、愛らしくて、ついあげてしまった。

キタキツネ
人馴れし、最近はウトロ市街地にも餌を求めて出没している


7月21日(土)13:30
ヒグマの親子

ウトロの最後に寄ったのが知床五湖である。広い駐車場に、「知床五湖フィールドハウス」と「知床五湖パークサービスセンター」という2つの真新しい建物があった。

この旅行の前年、平成23年(2011年)からヒグマ対策のための電気柵を設けた高架木道・展望台を整備し、観光客には主にそちらを利用してもらうこととし、従来の五湖を巡る遊歩道については、入場人数制限、レクチャーの義務づけ、有料化等の新制度が導入された。この新しい制度に合わせて設置されたのが知床五湖フィールドハウスである。遊歩道を利用する場合は、ここで申請し、レクチャーを受けなければならない。遊歩道の入口もこの中にある。「知床五湖パークサービスセンター」はお土産などを販売するショップである。


高架木道は平坦で幅も広く、歩きやすかった。草むらに鹿の姿が見えるところでは人垣ができていた。ひときわ騒がしい場所があった。「熊の親子がいる」と言っている。目を凝らしても全く見えない。光学ズーム5倍のデジカメの液晶画面に、かすかにその様子が見て取れた。双眼鏡が欲しいと思った。知床観光船で双眼鏡を持っていた人はこれが目的だったのかと、このとき理解した。

ヒグマの親子
光学ズーム5倍の限界


7月21日(土)15:00
国後島は霧の中

国道324号は知床自然センターまでが「知床国道」、そこから羅臼までは「知床横断道路」になる。「知床横断道路」を10分ぐらい走ったところで霧が濃くなった。やがて雨も降って来て、視界が非常に悪くなった。車の数は少なく、時々、対向車とする違う程度だ。羅臼に入ると霧も晴れ、天気も少し回復した。羅臼ビジネスセンターから外国のような綺麗な街並みが続き、海に近づくにつれ、生活感のある日本の漁師町に変わった。海岸線をしばらく走ったあと、丘を登り、高台にある羅臼国後展望塔に到着した。駐車場には大型の観光バスが1台停まっており、このバスの客と思われる団体が見学を終えて展望塔から出てきた。


羅臼国後展望塔の中には、北方領土問題の歴史的経緯の解説や資料が展示されていた。読んでいて、ロシアに不法占領されていることの口惜しさとどうにもならないことへの苛立ちが感じられた。羅臼町から国後島までは約25kmで、天気がよければその雄大な姿を一望することができるという。屋上の展望台に登ったが、羅臼港ははっきり見えるものの、国後島は影すら見えなかった。

国後展望塔の屋上
日の出の名所としても有名で「知床羅臼八景」の一つ


7月21日(土)15:30
北の国から

羅臼の観光名所にもなっている「純の番屋」に行った。これは「北の国から2002~遺言~」の撮影で使われた「純の番屋」のレプリカで、中はただの食堂である。実際に撮影で使われた番屋は、相泊の先の浜辺にある番屋の中のひとつらしい。食事の時間ではないが、話のタネに「トド焼き」を注文した。昔学校給食にでてきた「鯨の生姜焼き」と同じ味で、肉の固さや食感も鯨に似ていて、美味しかった。

このあと、道の駅「知床・らうす」で買い物をした後、マッカウスの洞窟に自生する天然記念物のヒカリゴケを見に行った。正直、どれがヒカリゴケなのかよく分からなかった。ともかくこれでこの日の予定をすべて終え、羅臼を離れた。


7月21日(土)17:30
日本最大の砂嘴

予定にはなかったが、M君の提案で急きょ野付半島に行ってみることになった。オホーツク海に鎌のように突き出た砂の道である。このような地形を砂嘴(さし)というらしい。半島の先端に近い所に、野付半島ネイチャーセンターという施設があった。営業時間は17時までなので、この時間はすでに閉館していた。

野付半島内にはかつて、トドマツ・エゾマツ・ハンノキ・カシワなどの原生林が存在したが、地盤沈下で海水が浸入、立ち枯れの森となった。このうち、人が立ち入ることのできるのが、トドワラと呼ばれる場所で、荒涼とした荒地に中に遊歩道が設置されている。時間が遅いこともあって、トドワラの入口に向かう道を少し歩いただけで、引き返してしまった。
ここは国後島まで16kmで、羅臼よりも近い。かすかに島影が見えたので、あわてて写真を撮ったが、何も写っていなかった。

トドワラ観光用の馬車
この頃は道産子が引いていたが、今はトラクター。


7月21日(土)18:30
知床最後の夜

中標津

この日の宿は北ホテル、中標津市街を貫く中央通り沿いにあるビジネスホテルだった。隣が「天然チロロの湯」という温泉施設で、これに後付けでホテルを建設したようである。1階受付の前には海鮮居酒屋が併設されていた。中標津の中心街は、廃線になった標津線・中標津駅周辺のようで、北ホテルからは徒歩30分ぐらいの距離がある。知床最後の夜だったが、残念ながら、ホテルの居酒屋で味気ない酒盛りになった。

北ホテルは2017年に倒産したらしく、今は「ホテル モアン」という名前に変わっていた。


7月22日(日)7:30
日本最東端のゴルフ場

知床ゴルフクラブなかしべつコースは、中標津空港のすぐ近くである。よく名前が変わるゴルフ場で、「中標津空港カントリークラブ」と名乗っていた時代もあった。グリーンやフェアウェイは綺麗に手入れされていたが、それ以外はなすがままという雰囲気で、それが北海道らしくも感じられた。記憶に残るホールはなかったが、悪いコースだったという印象もなかった。ゴルフが目的でやってきたはずだったが、知床観光で疲れ果て、気乗りしないまま淡々と18ホールを消化したかんじだった。

残念ながら、このコースは2017年5月をもって閉鎖されてしまった。娯楽施設、観光施設の少ない中標津なのだから、町営で存続させてもよかったのではないかと思えてならない。

(完)


NHKの「新日本風土記」で知床が取り上げられ、その中で、旧岩尾別開拓地の話が出てきた。岩尾別とは、知床自然センターから知床五湖あたりの地域である。昭和24年、国の政策により宮城県の開拓団がこの不毛の地に入植した。開拓は困難を極め、ようやく目途が見え始めた時、時代は大きく変わっていた。国と斜里町は農業から観光に方向転換し、農地を分断するように道路を造り、開拓団には他の場所への移転するよう説得した。やがて、すべての農家がこの地を離れた。


しれとこ100平方メートル運動

この話には続きがある。斜里町は開拓団が苦労して作り上げた農地を買い取り、元の森林に戻すことにしたのである。ところが、その資金がない。その間にもデベロッパーによる乱開発が入る怖れがあった。そこで、「しれとこ100平方メートル運動」を立ち上げ、広く一般から寄付を募ったのである。2010年、すべての土地を買い戻すことに成功し、森林化が進められている。1974年の航空写真で白く見えるところが開拓跡地、30年の時を経て緑の部分が随分増えたのが分かる。

HPには、「100平方メートル運動は、かつて乱開発の危機にあった知床国立公園内の開拓跡地を保全し、原生の森を復元する取り組みです」と書かれている。しかし、乱開発の危機を招いたのは、ここの観光地化をすすめた斜里町自身である。


記:2018年9月