
2014年3月
2014年(平成26年)の温泉旅行は、「横手かまくら」で有名な秋田県の横手温泉の予定だった。
「横手かまくら」は北東北の冬を代表するお祭りで、約420年の歴史がある。毎年2月15日、16日の小正月に行われており、大抵は平日で、観光客にはなんとも都合が悪い。しかし、平成26年の小正月はたまたま週末と重なり、訪問するにはまたとない好機であった。
ところが、想像もしていなかった理由で、中止になってしまった。
関東地方は前日から記録的な大雪に見舞われていた。茅ケ崎発6時51発の東海道線に乗らないと、東北新幹線の時間に間に合わない。しかし、JRの運行情報では東海道線は運転見合わせになっていた。諦めの悪い性格で、駅に着くころには動いているかもしれないと思い、とりあえず朝6時に家を出た。外は足首がすっぽり埋まるほどの積雪だった。雪は雨に変わり、差していた折りたたみ傘は強風ですぐ壊れてしまった。歩道は足が埋まって歩きにくいので、車道の車の轍を歩いた。かなりの重労働で、雨と雪に濡れて寒いはずなのに汗ばんで暑いくらいだった。駅に着いたら、タクシー待ちの行列ができていた。電車が動いていないことはあきらかで、この時点で、さすがに諦めた。後で確認したら、東北新幹線も動いておらず、どのみち無理だったのである。
3月に、残念会を近場の温泉でやることにした。熱海でよさそうなプランを見つけた。
「ホテルサンミ倶楽部 伊勢海老・鮑・金目の三大味覚の満腹プラン 1泊2食付き 16,800円」
ホテルサンミ倶楽部は、「万葉の湯」で知られる万葉グループの経営するホテルである。1泊16,800円は熱海では平均的な価格だが、食事の内容を勘案するとかなりリーズナブルである。ちょっと怪しい気もしたが、残念会だからそれも一興で、予約を取った。
3月15日(土)13:00
乗客は12人
13時に、熱海駅に集合した。ホテルのチェックインは17時の予定だったが、せっかくだから、簡単な熱海観光をすることにした。
伊豆箱根バスが運行している定期観光バスがある。午前9時30分発が「貫一号」、午後13時30分発が「お宮合」である。3時間15分で、熱海後楽園、来宮神社、十国峠、熱海梅園の4か所を回る。料金は2,300円で、熱海ロープウェイと十国峠ケーブルカーの往復料金が含まれている。HPに「座席定員制なので早めに予約しろ」と書かれていたので、3週間前に予約を入れた。
予約が必要なほど人気があるのかと思ったら、当日の利用者は我々を含め12名だった。定刻通りに出発し、特に渋滞もなかったが、なんだか慌ただしかった。ほとんどが移動時間で、見学時間が少なかったからである。
3月15日(土)13:40
下品な観光施設
バスの最初の停車場はロープウェイの山麓駅の前である。すぐそばに熱海後楽園ホテルがある。ここは東京ドームグループが経営しているホテルで、巨人軍の納会に使用されている。ロープウェイも東京ドームグループが所有している。
見学時間はわずか25分、ロープウェイの往復時間を差し引くと、山の上の見学時間は15分しかない。ロープウェイの終点には熱海秘宝館がある。ここは性風俗に関係した物品を収集・展示した猥雑な施設である。終点から少し登ると熱海城がある。実在した城ではなく、コンクリート製の天守閣風建築物である。15分では、どちらも外観を見ることぐらいしかできないが、見るべき価値があるとも思えなかったので、特に不満もなかった。山の上から熱海湾の眺望を楽しむには15分もあれば十分だった。
3月15日(土)14:20
日本屈指のパワースポット
来宮神社の見学時間は20分だった。
来宮神社の創建時期は定かではないが、社伝によると和銅3年(710年)、熱海の漁師が神の像を偶然見つけ、五十猛命(いたけるのみこと)の頼みを聞いて、その像を今の地に祀ったのが始まりとされている。主祭神は五十猛命の他に、日本武尊(やまとたけるのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)の3柱。大己貴命は大国主命(おおくにのみこと)のことで、ここは出雲系の神社である。
境内には推定樹齢2000年以上といわれる天然記念物の大楠がある。これを1周すれば寿命が延び、2周すれば願い事が叶うと言われている。宝くじ1等当選を祈願して、大楠を2周したが、今のところ大願成就の兆しもない。
3月15日(土)15:20
59年前のケーブルカー
バスは、箱根と伊豆を結ぶ十国峠ドライブウェーの途中にあるドライブインに向かった。十国峠と言ったら、大抵ここのことだ。山頂まではケーブルカーで行ける。ケーブルカーの正式名称は、伊豆箱根鉄道十国鋼索線という。路線距離はわずか300m、運転時間は3分である。山頂からは十国(伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・上総・下総・安房・相模)が展望できるというが、もとより分かるはずもない。富士山も見えるらしいが、この日は雲が多くてまったく見ることができなかった。山頂の滞在時間はわずか10分だった。
下り車両の前方に乗ったら、日立のプレートが目に留まった。昭和31年製と書いてあった。59年前に作られた車両が今も現役で使われていることに感動した。
日本最初のケーブルカーは1918年に開業した生駒鋼索鉄道で、大正時代末期から昭和時代初期にかけて全国各地に建設されたらしい。ところが、第二次世界大戦末期の戦局悪化により、大半が不要不急線に指定され、休止に追い込まれた。戦後、1950年代頃から観光需要が増加すると、休止されていた路線が復活したり、新規に路線が建設されたりした。十国峠ケーブルカーが作られたのもこの頃である。しかし、1970年代以降はロープウェイが主流になり、ケーブルカーは建設されなくなったという。
3月15日(土)16:00
宴のあと
熱海梅園の梅は「日本一早咲きの梅」で知られ、毎年11月下旬~12月上旬に第1号の花が咲き始める。見ごろを迎えるのは、1~2月中旬で、毎年、この時期は「梅まつり」を開催している。2011年から「梅まつり」は有料になり、一時的に入場者が減ったようだが、今は回復しているという。
2014年の梅まつりは、1月11日(土)~3月9日(日)の期間で実施された。終了してからまだ1週間も経っていないのに、園内の梅はほとんどが散ってしまっていた。また、時間が遅いこともあって園内は閑散としており、「梅まつり」の期間だけ有料というのも納得だ。見学時間は20分だったが、時間を持て余してしまった。
3月15日(土)18:00
充実した食事
近くのスーパーで買い出しをしてから、ホテルサンミ倶楽部に向かった。チェックインは予定通りの17時。案内された部屋はオーシャンビューの素晴らしい部屋だった。10畳+次の間6畳のゆったり広々の和室で、5人で泊まるには十分な広さだった。
風呂は最上階(10階)に展望風呂と露天風呂がある。展望風呂は19時半までが男風呂、30分あいだをおいて、20時から女風呂になる。露天風呂はその逆だ。チェックインしたらまず展望風呂に入り、食後に露天風呂に入った。どちらの風呂も小さくて、10人ぐらいが浸かれる広さしかなかったが、10人をはるかに超える人がいて、まるで芋を洗うようだった。
食事は18時半からで、襖に仕切られた部屋が用意されていた。テーブルの上には沢山の料理が置かれていて、とても5人分の食卓とは思えなかった。
コンロが4つも用意されていて、生き鮑、豚角煮、鰤しゃぶ、釜めしに火が入った。伊勢海老は半身で、冷たくなっていたが不味くはなかった。金目鯛も半身だったが、こちらは温かい状態で出てきた。さらに、天ぷら、味噌汁、デザートと波状攻撃のように運ばれてきて、とても食べきれなかった。朝食のバイキングも品数が多く、これで16,800円は本当に安いと思った。
3月16日(日)9:00
古い熱海を散策
朝、8時半にチェックアウトした。熱海駅までは、バスを使わず急勾配の坂道を歩くことにした。
ホテルから徒歩数分のところに親水公園がある。ヨットやボートが係留されて、まるで南イタリアのようだが、後ろの山の上には熱海城が見える。不思議な景色である。平成21年に市が策定した「熱海まちづくりビジョン」の中に、「歴史的なまちと開発のまちが混在していて、まち全体の印象が薄れている」と書かれている。確かに、そのとおりだ。
熱海銀座はかつての中心街である。昭和25年の熱海大火により、歴史の面影のあった街並みが消失してしまった。現在の銀座通りのアーケードは、海やリゾートを連想させるデザインになっている。このリニューアルは失敗とみているようだ。
熱海銀座が寂れた原因は、熱海大火のあとの市街地の再編にある。海岸の埋立が進み、ホテルや旅館が海岸沿いへと移動した。さらに、東海道新幹線熱海駅が北東方面の山の上に開業するなど、人の吸引力のある場所が銀座通りから離れたところに出来てしっまったためである。
急な坂道の途中に福島屋旅館がある。創業は明治初期で、建物は戦後に建てられた古い木造である。二階は大広間で、道路に対して斜めにカットされている。道路拡張のために切り取られたそうだ。館内は昭和30年代の雰囲気を色濃く残しており、ファンも多く、写真を撮りに来る人が後を絶たないらしい。
大型ホテルや老舗旅館が次々と廃業に追い込まれる中で、昭和の小さな旅館が存続できているというのは実に不思議な気がする。
(完)
熱海と言えば、小説「金色夜叉」と「お宮の松」である。「お宮の松」は国道135号沿いにあり、現在のものは昭和41年11月17日に植栽された二代目である。その隣には、昭和61年1月7日に熱海ロータリークラブが建立した「貫一・お宮」の銅像(舘野弘青作)があった。2012年11月に、お宮緑地のジャカランダ整備事業に伴い、反対側の大きな広場に移設された。過去の写真と比べると背景の雰囲気が変わってしまった。また、潮風の影響か、かなり赤さびが目立つ。
銅像の後ろから熱海駅の方向を見ると、目を覆いたくなるような無残なホテルの廃墟址があり、観光名所が台無しだった。今その廃墟址に、熱海パールスターホテルが建設中である。ようやく動き出したかんじで、1/3が空き店舗だった熱海銀座商店街も、若い人をターゲットにした店づくりが成功し、今では空き店舗は2店だけになったらしい。熱海はかつての賑わいを取り戻しつつある。
記:2018年9月