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2015年2月

乳頭温泉


乳頭温泉郷の鶴の湯は大変な人気で、どの人気ランキングを見ても必ず上位にランクされている。かくも人気になった背景には秋田新幹線の開通がある。アクセスがよくなったことで客が殺到し、予約は半年待ちだと言う。その話を信じて半年前に予約の電話を入れたが、取れなかった。それならばと、梅雨も明けきらぬ7月初めに予約の電話を入れたら、なんとか取れたものの人気の本陣はダメだった。茅葺長屋の本陣は鶴の湯のシンボル的存在で、350年前のたたずまいをそのまま残している。以前は二棟あったらしいが、20年前の豪雪で一棟はつぶれてしまった。残った一棟は主に湯治客に提供しているという。つまり、本陣は長逗留の上客用で、一見の観光客にはもとより取れるはずもなかったようである。


2月7日(土)8:30
幹事が寝坊

東京駅

乳頭温泉へは、東北新幹線で盛岡まで行き、田沢湖線に乗り換えて田沢湖で下車、そこからはバスを利用する。チェックインは16時半の予定なので時間はたっぷりある。せっかくだから、盛岡で途中下車し、「わんこそば」を体験することにした。

東京8時40分発の「はやぶさ7号 新青森行き」に乗車するので、新幹線改札口に8時10分集合にした。ところが、幹事のS君がいつまでたっても現れない。電話をしても繋がらず、やっと繋がったと思ったら、「今、起きた」とか言っている。待っていることもないので、盛岡駅で合流することにして、先に出発した。

それにしてもS君は、トクだ値25%割引の格安チケットを不意にしただけでなく、当日キャンセル料も支払う羽目になったのだから、随分高くついた朝寝坊だった。


2月7日(土)11:00
盛岡で途中下車

10時55分、盛岡駅に到着した。駅から徒歩5分のところに、盛岡駅前と市中心部をつなぐ開運橋がある。別名、「二度泣き橋」という。転勤者が初めてこの橋を渡るとき、「こんな僻地に飛ばされた」と泣き、盛岡を去るときには「ここを離れたくない」と再び泣くという意味が込められている。転勤者がこの橋から見るのは北上川と岩手山の景色である。泣きたくなるような景色とも思えないが、昔は高い建物もなくて、うら寂しいかんじだったのかもしれない。

開運橋
盛岡駅と市の中心部を結ぶ重要な橋で、昼夜を問わず渋滞


2月7日(土)12:00
初めてのわんこそば

取り急ぎ、わんこそばの老舗「東家本店」に向かった。土日は予約不可ということなので、とにかく早目に行かなくてはダメだ。市内は「でんでんむし」という名の循環バスが15分間隔で走っているが、15分の待ち時間がもどかしく、結局歩いてしまった。店に着いたのは11時40分。「わんこそば」は2階で、すでに先客が大勢いたが、待つことなく席に付くことができた。おそらく、客のほとんどが観光客であろう。

食べたお椀を傍らに積み重ねていく定番コースを注文した。薬味に、鮪のお刺身、なめこおろし、とりそぼろ、胡麻、海苔、浅漬け、とろろなどが付いて税込3,240円。


給仕の女性が1人ついた。お椀の蓋を開けたらスタートになる。差しだしたお椀に、「はいドンドン」「はいジャンジャン」と言って、蕎麦を入れてくれる。お椀が空になったら勝手にどんどん入れられるのかと思っていたが、そうではなかった。それに、蕎麦が無くなると補充するために奥に戻るので、適度に休憩も入る。

東屋本店
創業明治四十年、食べたお椀を目の前に積み重ねる方式


お椀15杯がかけ蕎麦1杯ぐらいの量で、成人男子の平均はお椀50杯だという。薬味で味を変えながら食べ進めるが、40杯ぐらいになると飽きてくる。あとは意地で50杯越えを目指し、52杯で限界。お椀の蓋をして終了になる。帰り際に、記録52杯と書かれた証明書が渡された。

F君がただ一人大台の100杯を超えた。

100杯完食
100杯を食べきると貰える木製の手形


2月7日(土)13:00
石の街

盛岡観光が東家の「わんこそば」だけというのももったいない気がして、東家周辺だけでも見て回ることにした。盛岡市東部は地表部に花崗岩類が露出する地域で、岩に関連する観光スポットが多い。

1.石割桜(いしわりざくら)
巨大な花崗岩の割れ目から育った直径約1.35m、樹齢360年を越える桜である。盛岡地方裁判所構内にあり、国の天然記念物に指定されている。見ごろは4月の半ば、もとより季節外れだ。

2.岩手銀行旧本店本館
明治44年に建てられた洋風建築で、国重要文化財。東京駅丸の内口の赤煉瓦駅舎で有名な建築家・辰野金吾の作品。外観は赤煉瓦を主体とし白色の花崗岩をライン状に嵌めこむ事で水平を強調するデザインになっている。残念ながら改修工事中で、布に覆われ見ることができなかった。


3.盛岡城跡公園
盛岡城は鶴ヶ城(福島県会津若松市)、小峰城(福島県白河市)と並び東北三名城と呼ばれていた。特に、花崗岩を積み上げた高い石垣が特長で、国指定史跡に指定されている。明治の廃藩置県の後、建物の大半が取り壊された。春には桜の名所らしいが、この時期は誰もいなかった。
 
4.櫻山神社の烏帽子岩
江戸時代前期、盛岡城築城の折に姿をあらわした大きさ二丈(高さ6.6m、周囲約20m)の烏帽子岩(兜岩とも呼ばれる)。この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、大石の出現を端兆と慶び「宝大石」として崇め、南部藩盛岡の「お守り岩」として崇拝したという。周辺にも花崗岩の巨岩がごろごろしていた。

盛岡に来るなら、春のほうがよさそうだ。


2月7日(土)13:30
朝寝坊のS君と合流

結局、帰りも駅まで歩いてしまった。盛岡駅に戻ったのは13時半、寝坊したS君が待ちわびていた。

田沢湖線の発車時刻は14時22分なので、駅ビルの中の「おでんせ館」で盛岡土産と酒を物色しながら時間を潰した。酒と言えば、東北には名酒が多い。青森の「田酒」、秋田の「高清水」、宮城の「浦霞」、山形の「十四代」、福島の「飛露喜」は、酒好きなら誰でも知っている。ところが、岩手には有名な酒がない。比較的知られているのが「南部美人」と「あさ開」だが、名酒という印象ではない。南部杜氏の本拠地なのに不思議である。


2月7日 16:30
秘湯鶴の湯

盛岡から約1時間、15時24分に田沢湖駅に到着した。路線バスで、「アルパこまくさ」のバス停まで行けば、そこから先は宿の送迎がある。鶴の湯に着いたのは16時20分、あたりは少し薄暗くなっていた。

門の左に人気の本陣が見えた。茅葺屋根はビニールで保護されていた。ビニールを被せると雪が積もらないらしい。本陣の前に積まれた雪は雪灯籠で、夜になるとロウソクの火が灯される。幻想的な雰囲気だが、暗いので、三脚なしで撮った写真はひどくブレていた。


宿泊したのは新本陣。建てられたのは昭和62年、30年前である。本陣とは比べるべくもないが、十分古い

5人の旅行だったが、5人で泊まれる部屋はなく、2部屋に分かれてしまった。こちらの部屋は、8畳の和室に4畳半のいろり部屋がついていた。夜長は囲炉裏を囲んで、盛岡駅で買い込んだ酒を飲みながらの談笑。ゆったりとした非日常的な時間が妙に居心地がよかった。鶴の湯のパンフレットには、「俗塵を忘れる天与の法悦境」と書いてあったが、確かにそんな風情である

宿泊した部屋
テレビはなく、携帯も圏外。照明は全て暖色。


風呂は外湯と内湯がある。内湯は3、4人程度の広さしかなく、湯はとても熱かった。外湯は黒湯と露天風呂に入ったが、外気のせいなのか、かなりぬるく感じた。熱い湯が好きなので、深夜の誰もいない時間に入った内湯が最高に良かった。

食事は、HPには部屋出しと書いてあったが、1号館の1階の広間だった。食事の内容は質素だが盛り沢山で、次から次と小鉢が出てきた。囲炉裏には山の芋の鍋が用意されていた。マグロや牛肉が出てきたら白けるところだったが、期待通りすべて山の幸だった。味は普通である。

お膳で酒を酌み交わすのは体勢的に苦しくて、食事中にもかかわらず足が攣ってしまった。


2月8日 8:00
再び男鹿へ

翌朝は早い出発になった。田沢湖駅まではタクシーを使い、8時31分発の秋田新幹線に乗った。秋田到着は9時32分、そこでレンタカーを借りて男鹿に向かう。

5年ぶりの男鹿である。前回は、入道崎灯台でシベリアおろしを体験しただけで、観光らしいことは何一つしていない。今回は、見るべきものはちゃんと見ることにしたのだが、この年の秋田は前回と大きく違っていた。市内に雪はなく、寒くも無く、東京とあまり変わらなかった。


2月8日 10:30
思い出の学舎

最初の目的地は、S君の母校・船川第二小学校である。すでに閉校になっており、現在は北公民館である。2階の教室が凧の博物館で、巨大な男鹿凧をはじめ、各地の珍しい凧がところせましと展示されていた。

実際のところ、凧には興味がなく、S君の母校を見てみたかっただけである。校舎の中はキレイに管理されていて、今でも学校として使えそうなかんじだが、ここが学校だった痕跡は意外なほど少なかった。生徒の絵や習字、廊下や階段の注意書き、使っていた椅子や机など、子供たちの息づかいを感じられるものがまったくなかった。残っていたのは、門の横の二宮尊徳像と校歌の歌碑、そして、玄関の閉校記念のタイル画ぐらいだった。卒業生としては寂しい限りだったに違いない。


2月8日 11:30
ナマハゲの聖地

ナマハゲで有名な男鹿真山伝承館に向かった。
「男鹿のナマハゲ」は、国の重要無形民俗文化財である。大晦日の夜に、「悪い子はいねがー」「泣ぐコはいねがー」と発しながら家の中を暴れ回り、それを見て泣きじゃくる子供の姿は、よくテレビで紹介されている。厳しい自然環境と深い信仰心が生み出した特異な文化である。

真山地区には約80の集落があり、そのうちナマハゲ行事が行われているの約50だという。「男鹿のナマハゲ」も、過疎化という大きな問題に直面している


男鹿真山伝承館は、大晦日しか見れないナマハゲを、観光客に体験してもらう施設である。この時期は、毎週土曜日・日曜日および祝日に、計6回の実演がある。11時半の実演に間に合った。

実演は、ナマハゲが乱暴に戸を開けるところから始まる。ひとしきり暴れた後、主人になだめられて席につく。家族の様子や田畑の作柄などについて主人と問答を交わす。主人は料理や酒でナマハゲをもてなすが、ナマハゲは酒は飲むが料理には手を付けない。そして、問答が終わったら帰っていくのだが、実演では、客席に乱入してくる。ナマハゲの落としていったワラは病人の患部に巻き付けると疾病平癒の御利益があるという。乱入で客席にも藁が落ちたので、拾って帰る人もいた。

30分ぐらいの実演だが、とても楽しかった。


2月8日 12:30
目で、耳で、舌で楽しむ男鹿の名物料理

入道崎は、5年前のシベリアおろしが嘘のような静けさだった。昼食は、入道崎の「美野幸(みのこう)」を予約してあった。注文したのは、天然真鯛の石焼定食である。

石焼料理は男鹿の伝統的な漁師料理である。秋田杉で作った桶に男鹿近海で獲れた魚介類を入れ、この中に真赤に熱した石を豪快にほうり込む。
美野幸の石焼料理は塩味で、天然真鯛に岩海苔やネギが入っていた。不味くはなかったが、期待したほどでもなかった。期待していたのは、いろいろな魚介類をぶち込んだ、煮えたぎった味噌汁のようなもので、美濃港の石焼料理は少し上品すぎたかもしれない。


2月8日 14:00
男鹿の海の体験スポット

午後は、国指定重要文化財の赤神神社五社堂に行く予定だったが、雨が降ってきたので急きょ予定を変更し、男鹿水族館GAOに向かった。

男鹿水族館GAOは海沿いに建っており、駐車場からは少し歩く。雨が降っているのに傘がなく、小走りで建物の中に飛び込んだ。建物の中は思ったよりも広かった。順路に従って、1Fから順に見ていくと、2Fにホッキョクグマやペンギンがいた。哺乳類の展示は水族館では珍しいかもしれない。ホッキョクグマは、雨が降っているせいなのか、岩陰に潜んでいるかんじだった。男鹿の海を再現した巨大な水中トンネル式の「男鹿の海大水槽」が一番見ごたえがあった。

秋田駅でレンタカーを返却した時は17時近かった。予定を変更したことで1時間ぐらい遅くなってしまい、「トピコ」で土産を買う時間がなくなった。17時から地元の居酒屋を予約してあったが、秋田空港行きのバスの時間が18時だから1時間も飲めない。そもそも無理な予約なのでキャンセル。結局、土産も打上げも空港で済ませることになった。

(完)


この旅行の後、ずっと気になっていたことがある。それは、旧・船川第二小学校(凧の博物館)の玄関に飾られていたタイル画のことである。平成16年3月の閉校記念として制作されたもので、「ふるさとの学舎」というタイトルが付けられていた。

この学校に通う子供たちにとって、ふるさとを象徴するものと言えば、「ナマハゲ」、「ハタハタ」、「寒風山」ということになろう。絵の左上の魚は「ハタハタ」で、右下の山は「寒風山」だと思われる。しかし、肝心の「ナマハゲ」がどこにも描かれていない。それが不思議でならなかった。それに、校舎の後ろの3本の木も、校舎の中のニコニコマークも、校舎の上の5本の帯もよく分からない。これは一体、何を描いているのだろう。


この旅行記を書いていて、あらためてこの絵を見てみた時、校舎の上に音符が描かれているのに気付いた。それで、やっとこの絵の意味が分かった。これは、校舎と校歌を描いたものだった。旧・船川第二小学校の校歌には、「寒風山」、「広い田の面」、「朝日」、「男鹿美林」、「ほがらか」の言葉が出てくる。3本の木は「男鹿美林(秋田杉)」で、5本の帯は「朝日」で、ハタハタだと思った魚は「広い田の面」のメダカだったのである。そして、ニコニコマークは生徒たちの「ほがらか」な笑顔を描いてたものに違いない。考えてみれば、生徒たちにとって学校の思い出が「ナマハゲ」であるはずはなく、それは絶対に校舎と校歌なのである。


記:2018年4月