
2016年7月
ゴルファーにとって、日本の最も端にあるゴルフ場は気になってしかたがないようだ。
日本最南端と最西端のゴルフ場は、沖縄県小浜島にあるニラカナイカントリークラブである。2005年12月23日にプレーした時は、ハイムルミラージュカントリークラブという名前だった。ここでのゴルフは、「ちゅらさん」ブームの余韻が残る小浜島観光のついでだったが、日本最南端、最西端と書かれたティーを見て、最北端、最東端が気になり始めた。
翌日、石垣島で唯一のロングコースのある石垣島ゴルフ倶楽部でもプレーした。1975年に開場したコースで、2001年にニラカナイカントリークラブが開場するまでは、こちらが日本最南端だった。残念ながら、このコースは新石垣空港建設予定地に入っていたため、翌年の8月31日に閉鎖されてしまった。
日本最北端のゴルフコースは1992年に開場したノースバレーカントリークラブで、それ以前は稚内カントリークラブが日本最北端のゴルフコースだった。2007年7月20日に稚内カントリークラブを、その翌日にノースバレーカントリークラブをプレーして、日本最北端を完全制覇した。
日本最東端は北海道の根室ゴルフクラブだが、ここは9ホールしかなく、18ホールでは中標津の知床ゴルフクラブなかしべつコースが最東端になる。2012年7月20日、知床観光の最終日に知床ゴルフクラブなかしべつコースをプレーした。よく名前が変わるらしく、クラブハウスの壁には「中標津ゴルフ場」や「中標津空港カントリークラブ」の文字が残っていた。残念ながらこのコースも2017年に閉鎖されてしまい、今は太陽光発電の用地になっている。早めに行っておいてよかった。
最後に残ったのが、9ホールの根室ゴルフクラブである。
7月2日(土)10:00
肌寒い釧路の朝
釧路空港に到着したのは、定刻の9時35分。厚い雲に覆われ、夏とは思えない肌寒さだった。
ここでレンタカーを借りて根室を目指すのだが、途中、釧路和商市場で遅い朝食をとり、道の駅スワン44ねむろで遅い昼食をとる予定だった。しかし、そんな予定は早々にとん挫してしまった。レンタカーを借りるのに時間がかかりすぎたからである。空港内の受付カンウターから営業所までは車で送迎してくれるのだが、一度に送れるのは2組まで。ここで順番待ちになり、延々と待たされてしまった。
7月2日(土)11:00
釧路に来たら勝手丼
レンタカーの運転は交代で行うのだが、年長者の特権で、私の担当は釧路空港から釧路和商市場までのわずかな距離だけで勘弁してもらった。釧路和商市場に着いたのは11時である。昼前とあって中は閑散としていた。
釧路和商市場は、JR北海道釧路駅西方にある公設の市場で、釧路市民の台所として親しまれている。鮮魚をはじめ、青果、花、薬、そば、菓子、漬物、精肉、雑貨、寿司など百店舗近くが店を並べている。また、ご飯にお気に入りの魚介類を買って載せ、自分好みの海鮮丼を作って行く勝手丼のサービスが有名である。勝手丼は観光客相手で、地元民は食堂を利用するというというが、こちらは観光客だから迷うことなく勝手丼だ。
勝手丼は、まず、ご飯を購入する。「佐藤商店」とかかれた店がご飯を販売していた。「普通の人は200円の中盛り、後で割りばしの箸袋を見せてくれれば、味噌汁が100円になる」と言われた。200円のご飯を持って、すぐ近くの「橋本商店」に行った。
具材を選んで、ご飯の上にのせてもらう。即断即決のつもりが、種類が多くて、なかなか決められない。安ければ迷うこともないが、一切れ100円~300円では、ついつい慎重になる。客に時間を与えないことが商売のコツなのか、押し売り気味にいろいろと勧めてくる。本マグロ、甘海老、ウニ、赤貝を選んで、800円。
まだ丼の半分くらいが空いているので、別の店に。「橋本商店」の裏に回ると、別の「佐藤商店」が出てきた。ご飯の店と同じ経営なのかもしれない。残りはここで購入。やはり、押し売り気味にせめてくる。サーモン、カンパチ、おひょいを選んで、700円。ご飯と味噌汁をいれて、総額1800円のオリジナル海鮮丼になった。
7月2日(土)13:30
北方領土返還の祈り
釧路から根室までは国道44号を使って約120㎞である。Googleマップには車で2時間10分と表示された。通常、一般道の平均時速は30㎞で計算されるはずだが、ここでは平均時速60㎞で計算されている。果たして、Googleマップの計算どおり、約2時間で根室に着いた。さすがに北海道である。
道の駅「スワン44ねむろ」で根室名物のエスカロップを食べるはずだったが、すでに予定より30分も遅れているので断念。根室金刀比羅神社に直行した。
根室市内でよく見かけるのは、「返せ北方領土」と「日本最東端」の文字である。北方領土があるから、納沙布岬は日本最東端ではなく、日本本土の最東端である。その北方領土にはかつて沢山の神社があった。神社に関しては、ゴルフ場のように簡単に最東端を決められない。日本本土最東端の神社は、納沙布岬のすぐ近くにある納沙布金刀比羅神社で、有人神社(神職者が常駐している社)の日本本土最東端が根室金刀比羅神社になる。
根室金刀比羅神社は市街地を抜けた小高い丘の上にある。文化3年(皇紀2466年)貿易商人だった高田屋嘉兵衛により建立され、大正8年に県社となった。平成18年の創祀200年にあたり、社殿修復と神輿殿が新設された。
あまり時間がなかったので、社殿の参拝と社務所で御朱印を頂くだけになった。御朱印には「祈 返還 北方領土」の赤いスタンプが押されていた。終戦後、北方領土にソ連軍が侵攻してきたとき、歯舞群島、色丹島、国後島に鎮座していた神社のうち十一社のご神体を持ち帰り、根室金刀比羅神社に仮遷座しているということである。
社務所の受付の前が神輿殿で、まばゆいばかりの金色の御神輿が置かれていた。根室金刀比羅神社の例大祭は根室最大のお祭りで、産業の振興と地域の安全を祈願し、毎年8月9日から3日間にわたって行わる。市内が4つの祭典区に別れ,山車・先太鼓・金棒・手古舞の演舞で競い合い、この金色の御神輿の御巡幸が最大の見どころらしい。
もうひとつ面白いものがあった。「福ざんまいみくじ」という張り子のサンマがついたおみくじである。根室はサンマの水揚げ量日本一で、それにちなみ、「多くの福で溢れますように」と「福ざんまい」(福サンマい)と名付けられたという。
7月2日(土)14:00
日本最東端は霧の中
根室ゴルフクラブの予約をしたのは5月3日だった。11月下旬から4月末までの冬期間はクローズされているので、営業開始とほぼ同時に予約の電話を入れた。いつ行っても空いていると高をくくっていたが、週末はそれなりに混雑しているらしい。7月2日(土)の午前中は地元銀行の大型コンペが入り、午後も数組のコンペが入っていた。翌日は理事長杯で終日貸し切り、なんでも36ホールで決着をつけるという。結局、18ホール回るのは諦め、7月2日14時スタートで予約をいれた。
根室市街から車で20分程度、納沙布岬に向かう途中にある。当日はあいにくの悪天候で、根室市街を抜けると濃い霧に覆われた。予定どおり14時少し前に到着した。
入口の看板は文字が欠落し、少し傾いていた。クラブハウスはモダンな外観だが、50年以上も厳しい風雪にさらされ続けただけあって、老朽化が著しい。2階は食堂だったようだが、今は使われていない。また、受付の奥の喫茶室ではエスカロップなどの軽食が取れると聞いていたが、それも廃止になっていた。ロッカールームは雑然としていて、空いているところを自由に使っていいと言われた。
もともと牧草地だったそうで、多少の高低差はあるが、全体的にはフラットなコースである。カートはコース内を自由に移動できる、というより、カート道路自体がない。「黄色いボールはカラスに狙われるので白いボールを使ってくれ」と言われた。
独特の雰囲気がある。
日本最東端のティーは1番ホールになる。この日の視界は50ヤードぐらい。ほとんどのホールが直線的なレイアウトなので、とにかく真っすぐ打っていくしかない。そして、打ったボールをカートに乗って探しに行くのだが、やはり簡単には見つからなかった。9ホールを回り終えた頃には気温も下がり、かなり寒かった。誰もいない1番ホールのティーグランドをキタキツネが平然と歩いていた。
翌日は晴れたので、もう一度見に行ってみた。コース内に樹木はほとんどなく、緑に覆われた草原を気持ちよさそうにカートが走り回っていた。9ホールしかないと内心馬鹿にしていたが、これで十分な気がした。牧歌的でとてもいいコースである。
7月2日(土)17:00
北方領土返還の願い
根室は、町のいたるところに、「返せ北方領土」の看板が掲げられている。ロシアに対する怨嗟に近いような感情に満ち溢れており、納沙布岬は北方領土返還運動の聖地みたいな場所である。
根室ゴルフクラブのプレー後、納沙布岬を目指した。最初に向かったのは納沙布岬灯台である。霧に加え雨まで降ってきて、かなり寒くなった。時間は17時を過ぎていたので、周囲に観光客はいなかった。ここは歯舞群島貝殻島まではわずか3.7kmしか離れておらず、ロシアの巡視艇が海上に頻繁に姿を現すという。しかし、濃い霧のため、その姿はまったく確認できなかった。
夕食は日本最東端の食堂、鈴木食堂で取る予定だったが、もう閉まっていた。営業時間は18時までのはずだが、人がいないので早仕舞いしたらしい。しかたがないので、望郷の岬公園に向かったが、こちらにも人影はなかった。北方館、望郷の家、望郷の塔、いずれも閉館していた。四島のかけはしという大きなモニュメントの下には「祈りの火」と呼ばれる点火灯台がある。ここの火も、すでに落とされていた。どうやら17時ですべて終わるらしい。
7月2日(土)19:00
期待外れの根室の夜
この日の宿は根室駅に近いあづま旅館、一泊朝食付きの小さなビジネスホテルである。旅館の前に「鮨半」という評判のよい寿司屋があった。根室に来たら新鮮な魚介類を逃す手はないと思い、宿に向かう車の中から予約の電話を入れたが、満席で断られてしまった。しかたなく、宿の主人に勧められた居酒屋「炉ばた俺ん家」に行った。この店は、「吉田類の酒場放浪記」でも取り上げられたことがある。
店へ入れると、L字のカウンターがあり、その前には大きな囲炉裏があった。ここで焼くらしい。カウンターは先客で埋まっていたので、誰もいない座敷のほうに案内された。側にはストーブがいくつも置いてあり、夏だというのに火が入っていた。メニューは意外なほど普通で、炉端焼き屋だけあって焼き物が多かった。根室でしか食べられない鮮魚を求めていたから、正直落胆した。考えてみれば時期が悪かった。7月が旬の鮮魚といえば花咲蟹ぐらいなのに、時価に気後れして注文しなかった。
7月3日(日)8:00
日本最東端の駅
朝起きたら、雨が降っていた。
この日は阿寒湖遊覧船を予定していたが、この雨でめげてしまった。根室が雨だからと言って、阿寒湖も雨というわけではないのに、どうも気分が乗らなかった。根室でやり残したことが多すぎたせいかもしれない。やり残したことのひとつが根室本線の東根室駅である。日本最東端の駅で、昨日の納沙布岬の帰りに立ち寄るはずだったが、日が落ちて薄暗くなってきたため断念した場所だった。
場所は分かりにくく、看板もなく、狭い路地を曲がった住宅街の奥にあった。ナビを使っていたにもかかわらず、通り過ぎてしまった。駅に着いた時、雨は上がっていた。
高台に位置する無人駅で、駅舎はなく、木製の1面1線のホームがあるだけだ。ホームには「日本最東端の駅」と書かれた看板が立っている。ホームの幅が狭いので、正面から写真を撮るのは少々危険である。
朝8時に「根室行快速はなさき」が到着するので、せっかくだから、列車の到着まで見届けることにした。やってきたのは、一両編成のディーゼル車。中はガラガラだ。到着するなり、窓を開けて、看板の写真を撮りまくる乗客がいた。なるほど、列車の中からのほうが写真は撮りやすい。しばらくして、数名の乗客がホームに降りてきた。すべて旅行者で、写真だけ撮ったら、再び、列車に乗り込んでいった。運転手も慣れたもので、せかすわけでもなく、乗客が戻るのを平然と待っていた。
7月3日(日)8:30
近くて遠い北方領土
東根室駅に着いた頃から天気が回復し、日も差してきた。こうなると、どうしてももう一度、納沙布岬に行ってみたくなった。
「北方領土が見れるかもしれない」、そんな期待を持って車を走らせたが、納沙布岬に近づくにつれ、絶望的な気持ちになった。市街地は晴れても、ここは相変わらず濃い霧に覆われていた。望郷の岬公園に着いたのは8時半、朝早い時間にもかかわらず、観光客が来ていた。しばらくすると、「祈りの火」が点火され、「島を返せ」と書かれた旗も掲揚された。そんな願いも空しく、島の姿はこの日も見ることができなかった。
2012年の夏、知床を旅したとき、羅臼の国後展望塔に立ち寄った。塔の中は、ロシアに実行支配されている口惜しさに満ち溢れていたが、濃い霧に覆われて、国後島の姿は全く見ることができなかった。このあと野付半島に回ると、かすかに国後島の島影が確認できた。それは、写真にも写らないほどのかすかな島影であった。
文字どおり、近くて遠い北方領土である。見えない島に、「返せ」の声が届くとも思えなかった。
7月3日(日)9:30
日本最東端の有人駅
根室を離れる前に、根室駅に寄った。
根室駅は日本最東端有人駅である。ホームには、「流氷岬 納沙布」と書かれた看板があるらしいが、列車の到着時間以外はホームに入ることはできず、残念ながら、確認できなかった。残念と言えば、根室駅で東根室駅の「来駅証明書」が買えたのに、忘れてしまったことだ。納沙布岬の「日本最東端到達証明書」も買い忘れてしまった。ネットで買えないものだろうか。
7月3日(日)10:00
最後の日本最東端
昨日行けなかった「道の駅スワン44ねむろ」に立ち寄った。ここは、日本最東端の道の駅である。展望台からは日本有数の野鳥の宝庫風蓮湖や春国岱が一望できるほか、遊歩道も整備されている。
風蓮湖は海水と淡水が入り交じる汽水湖で、タンチョウの営巣地である。タンチョウは釧路湿原を代表するシンボル的な鳥で、昭和27年に国の特別天然記念物に指定された。夏のこの時期は湿原地帯に入り、ヒナ鳥を育てている。目を凝らして湖面を探したが、残念ながらその姿を見つけることはできなかった。
7月3日(日)12:30
日本最大のアイヌコタン
根室を離れ、阿寒湖に向かった。別海町を抜けるルートで2時間半、北海道の移動は半端じゃない。
湖畔の第2・3駐車場がおすすめと聞いていたが、場所が分からなかった。周辺をウロウロしたあげく、阿寒湖アイヌコタンの無料駐車場に停めることになった。アイヌコタンとは、北海道の先住民族であるアイヌの人々が暮らす集落のことである。阿寒湖アイヌコタンは130名あまりのアイヌ民族が暮らしており、北海道で一番大きなアイヌコタンだという。かつてのアイヌ民家を再現した建物や、アイヌに伝わる木彫などの民芸品店や飲食店など数十店が並んでいる。伝統あるアイヌ古式舞踊を見学することもできる。
昼食は、アイヌコタン内の「ポロンノ」という喫茶店にした。どこの店にもアイヌ料理と書かれているが、メニューを見て、アイヌ料理らしい店はここだけみたいだった。
アイヌ料理定食「ユック(鹿)セット」を注文。淡泊な味で、特に美味いというものでもなかった。むしろ、アイヌの食材を使った「ポッチェピザ」や「めふんスパ」のほうが美味かった。
食後、木彫りの民芸品店「イチンゲの店」に入った。数多くの作品が所狭しと置かれている中で、「心やすらぐ お守り地蔵」に目が留まった。そのふくよかな慈悲深い表情に魅せられてしまった。後で調べてたら、店主の瀧口政満さんは、数々の賞を受賞した有名な彫刻家だった。アイヌ民族ではなく、アイヌ彫刻に魅了されて、ここに移り住んだそうである。三歳の時に高熱が原因で難聴になったそうで、いつも補聴器をつけている。材料全体の形、流れるような木目やこぶを見つめると作品構想がわき、それが作品の模様に生かされていくという。「心やすらぐ お守り地蔵」を見れば、なるほどと得心。
7月3日(日)15:00
謎の生き物クッシー
屈斜路湖の砂湯は洗練された観光地で、午後の3時なのにまだ多くの家族連れでにぎわっていた。ここは砂浜を掘ると温泉が出てくるという珍しい場所で、実際に砂を掘ってみると、砂の中から人肌の湯が染み出してきた。
湖畔の売店の前に、クッシーの像が飾られていた。クッシーというのは屈斜路湖に生息するといわれている未確認生物で、目撃証言以外にも、湖面の波紋などの写真が幾つも撮られているという。ただ専門家は、屈斜路湖は餌となる魚類が乏しく大型生物が住める環境ではないと言っている。
7月3日(日)15:30
さながら地獄絵図
屈斜路湖から摩周湖に向かう道道52号線沿いに硫黄山がある。噴煙を上げる赤茶けた山肌が印象的な活火山で、正式な山の名はアトサヌプリという。レストハウスの広い駐車場には、大型バスが何台も駐車していた。ほとんどが中国人観光客である。車を降りると硫黄の臭いが鼻をついた。平成12年の落石事故の発生により山頂付近への立ち入りは禁止されているが、山麓の噴気孔だけは間近に見ることができる。硫黄の噴煙がゴウゴウと音を立ててあちこちから立ち上っており、実におぞましい光景だった。
7月3日(日)16:30
やっぱり霧の摩周湖
硫黄山から摩周湖に向かった。前方には大型観光バスがいて、同じ方向に走っていた。摩周湖でも中国人の集団に遭遇するのかと思ったら、少し憂鬱になった。摩周湖に近づくと、道路がうっすら霧に覆われてきた。その時点で、結果は想像がついてしまった。案の定、湖の気配さえ感じられないほどの厚い霧で覆われていた。
7月3日(日)17:30
旅の終わりに
摩周湖から釧路空港に向かう途中に、釧路市湿原展望台がある。赤レンガ造りの特徴的な建物は、著名な建築設計家・毛綱毅曠の作品で、湿原に群生する「ヤチボウズ」をイメージしたものらしい。1階は入場無料で、ショップやレストラン等がある。2階からは有料展示となっており、釧路湿原を再現するゾーンには幻の巨大魚「イトウ」など、湿原の動植物を復元した展示物が多数。3階展望室と屋上からは釧路の街や阿寒の山々などの風景が望める。
1階のショップ、屋上からの景色、出入り口の赤い扉は憶えているが、2階の展示についてはよく覚えていない。また、屋上からは、原生林に覆われて湿原をよく確認できなかった。湿原を見るには「サテライト展望台」に行かないとダメらしい。建物の周りには遊歩道が整備されており、その途中に「サテライト展望台」がある。絶対に行くべきなのに、遊歩道の入口までで、その先には行かなかった。観光名所だから寄ってみようぐらいの感覚で、湿原に対してはあまり関心がなかったようである。
根室には土曜日の14時に到着し、翌朝の10時には離れている。北海道は広すぎて、2日間の日程では根室を満喫することは叶わなかった。サンマには季節が早すぎたし、花咲ガニもエスカロップも食べていない。機会を見てもう一度行ってみたいが、とりあえず、ふるさと納税で物足りなさを埋めることにした。
記念品は、(有)ノサップ通商という会社の「花咲がに・北海しまえび・糠さんまセット」にした。説明書きには、
「花咲がには、新物で自社専用のかに釜でボイル後急速冷凍をし、北海しまえびも新物を市場で仕入れ急速冷凍しています。糠さんまは漁師ならではの味付けで他には真似が出来ない絶品です。」
申し込んでから、約1か月後に商品が届いた。
「北海しまえび」は初めて聞く名前だ。タラバエビ科に分類されるエビの一種で、キロ単価がきわめて高い高級品だという。鮮度が落ちやすいため、漁獲後ただちに塩茹でされる。新鮮なものは茹でると縞模様を残したまま赤色に変わり、味は茹でるときの塩加減で大きく変わるらしい。送られてきたものは赤い殻の上に白い縞模様が入っていた。味も薄味でほどよいかんじだ。いい仕事をしている。
「糠さんま」というのも聞いたことがない。北海道などの漁師町で食されてきた、旬のさんまを長く楽しむための伝統的な保存食だという。冷蔵庫で2時間かけて解凍した後、糠を洗い流してから丸焼きにする。焼いてる時の脂はすごいが、焼きあがったものはそれほど脂っぽくない。焼いている段階で流れ落ちてしまったかんじだ。生と同じ焼き時間だと、すこし焼き過ぎるのかもしれない。生よりも甘みがあり、骨まで柔らかくて食べやすく、身は冷凍サンマのようにパサパサしていない。生活の知恵である。
花咲ガニは、冷蔵庫で自然解凍した。殻はとても固く、トゲトゲが手に食い込んで、とにかく捌くのが大変だった。一番楽しみにしていたのに、食べる前にウンザリしてしまった。花咲ガニは当たり外れが大きいという話だが、届いたものは普通に美味しかった。(有)ノサップ通商の花咲ガニは根室産だが、記念品の中には、ロシア産の花咲ガニを出している業者もいた。恐らく、ロシアの漁師が北方領土で収穫したものを、根室港まで売りに来たのだろう。少し複雑な気持ちになった。
記:2018年8月