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2017年2月

登別温泉


2016年の訪日外国人旅行者数は2400万人に達し、初めて2000万人を突破した。それも、前年の実績を600万人も上回る大幅増だった。なかでも北海道は人気があり、外国人旅行者の実に10人に1人が訪れている。人気の場所は、札幌市、登別市、函館市、倶知安町(ニセコ)、洞爺湖町、小樽市などで、函館から札幌に繋がる函館本線、室蘭本線の沿線にある温泉・スキーリゾートがゴールデンルートになっている。外国人旅行者の7割は中国、韓国、台湾、香港からの旅行者で、2月の春節の時期は特に数が多くなる。さらに、「さっぽろ雪まつり」も重なって、2月の新千歳空港発着便のチケットは過酷な争奪戦になっている

チケットの予約は2ヵ月前の9時30分から予約開始になるが、早割の場合は少し異なる。夏ダイヤと冬ダイヤにわけて、それぞれのダイヤの発表時期に一斉発売される。具体的には、1月下旬に3月末~10月末の割引運賃が一斉発売され、8月下旬に10月末~3月末の割引運賃が一斉発売される。8月下旬の具体的な日付は条件によって差別化されている。ANAの場合、通常は「8月30日9時30分から」予約可能だが、ANAマイレージクラブ会員の場合は「8月29日 11時から」予約可能で、さらにANAカード会員になると「8月28日 14時から」予約可能になる。この年の温泉旅行は登別温泉を計画していたが、行けるかどうかは、ANAカードを所有しているM君の頑張りにかかっていた。


2月4日(土)9:00 
女満別空港は氷点下

「網走で流氷体験をした後、登別温泉に1泊し、翌日はさっぽろ雪まつりを見学する」、そんな計画である。M君がすべての飛行機を手配してくれたおかげで、なんとか実行できることになった。こういうところの頑張りにはいつも感心する。

2月4日早朝、女満別空港に降り立った。気温は-13度。着こんでいるので体感はそれほど寒くはなかったが、-13という数値がとても寒く感じさせた。路面は真っ白に凍り付いており、歩いていても今にも滑って転びそうだった。

今回のレンタカー
トヨタレンタカー/ウィッシュ


2月4日(土)9:20 
立派過ぎる無人駅

空港から車で10分ぐらいのところに、石北本線のJR女満別駅がある。無人駅とは思えない立派な駅舎だが、実は、図書館が併設されている。図書館の中に鉄道の持合室を作ったと言ったほうがいいかもしれない。駅舎の1階に「水芭蕉」という名の喫茶店が営業していると聞いていたが、閉店したようだった。ここで朝食を取るつもりだったのに早くも予定が狂ってしまった。

石北本線
旭川と網走を結ぶ路線。石北とは、明治維新時に設置された石狩国(旭川・上川)と北見国(北見・網走)に由来する


2月4日(土)9:50 
流氷ははるか沖合

釧網本線のJR北浜駅に向かった。ここは、オホーツク海に一番近い駅として有名で、映画やテレビの撮影にも数多く利用されている。最近では、観光バスが乗り付けるほどの人気らしい。

北浜駅には、道道246号と道道102号を使って国道244号(斜里国道)に出れば、30分程度で着く。交通量の少ない道道の路面状態が心配だったが杞憂に終わった。むしろ、海からの強風にさらされている国道のほうが緊張した。

小さな駅だが、駅の前の駐車スペースは駅舎とは不釣り合いなほど広かった。観光バスが乗り付けるのも頷ける。駅舎の隣に、流氷見学用展望台がある。まず、そちらに行ってみることにした。その矢先に滑って転倒、かなり痛かった。


流氷見学用展望台の上はさすがに寒く、まさに凍てつくかんじだった。網走の流氷初日は1月30日ということだったが、駅からはシャーベット状の氷が散見される程度だった。流氷の本体ははるか沖合にあった

駅舎内には、かつての駅事務室を改装した喫茶店「停車場」が営業している。店の中からカレーのいい臭いがしてきたが、残念ながら11時オープンなのでありつけず。

駅舎の中
待合室の壁面は旅行者が訪問の足跡として貼った名刺や切符などで埋め尽くされている


2月4日(土)10:20 
極寒の地の御祈祷

網走神社の訪問は流氷体験の後の予定だったが、朝食を食べそびれた分だけ時間に余裕ができたので、先に参拝をして御朱印を頂くことにした。

網走神社
主祭神は宗像三神、航海の安全や交通安全などを祈願する神様


2月4日(土)11:00 
流氷との遭遇

11時出航の「網走流氷観光砕氷船おーろら号」を予約していた。おーろら号は1時間で片道10kmまでしか進むことが出来ないので、その範囲に流氷がなければただの海上遊覧になってしまう。北浜駅で見た、はるか沖合の流氷本体までたどり着けるのか、とても不安だった。

乗船場は、道の駅「流氷街道網走」の中にある。想定外の混雑ぶりで、事前予約しておいてよかったと思った。乗船手続きのあと、空腹を癒すため、テイクアウトコーナーで「網走ザンギ饅頭」を買った。

網走ザンギ饅頭
オホーツク海産のカラフトマスを使った中華風饅頭


「おーろら号」はもう一隻あり、混雑時には2隻が15分の間をあけて出港する。先発の船に乗った。出港から20分ぐらい経ったところで、海の様子が変わってきた。沖合の流氷本体にたどり着いたらしい。船はガツガツと音を立てながら進み、しだいに氷の密度が高くなり、やがて完全に氷原になった。まだ歩けるほどの厚みはなさそうだった。初めて経験する異空間で、ここにいるのがとても不思議な気がした。

流氷は常に見れるわけではない。毎年2月中旬から3月上旬ごろが流氷を見られる確率が高いといわれているが、温暖化の影響で年々減少傾向にあるという。旅行前は、流氷サイトで毎日のように流氷の位置を確認していた。網走の流氷初日が1月30日で、かろうじて間に合ったと思っていたが、流氷初日というのは気象台から流氷が見えたというだけのことだった。2月上旬にこれだけの流氷に遭遇できたのはとても幸運な出来事だったようだ。


2月4日(土)12:20 
刑務所の街

女満別空港に戻る道すがら、網走駅、網走刑務所、博物館網走監獄に立ち寄ることにした。時間はあまりなく、覗く程度である。

道の駅「流氷街道網走」から網走駅までは5分ぐらいである。ここは石北本線と釧網本線の終着駅で、複数の鉄道線が乗り入れる乗換駅としては日本最北の駅である。
駅正面には縦に駅名を記した木製の看板が掲げられている。この縦書きには網走刑務所から出所してくる受刑者が、もう二度と「横道に反れないように」という願いが込められているという。その一方で駅の構内には、鉄格子を模した顔ハメパネルが設置されていた。「ようこそ刑務所の街へ」ということなのだろうが、受刑者を揶揄しているようにも思えた。

顔ハメパネル
板にくり貫かれた穴から顔を出し、写真撮影などを楽しむ看板


2月4日(土)12:30 
現実の刑務所

網走駅からさらに5分ほど走ると、網走川の対岸に網走刑務所があった。街路樹と沿道の建物の陰に隠れるほどの背の低い施設で、うっかり通り過ぎてしまった。川べりの赤レンガの高い塀に囲まれた現実の刑務所は、物々しくて張り詰めたような雰囲気があった。

網走川にかかる橋が鏡橋で、観光客の車の乗り入れは禁止されていた。ここからは歩きになる。観光と言っても、門の前で記念写真を撮るぐらいのことである。正門の前に形務作業製品を展示販売している施設があり、おそらく受刑者が製作しているニポポ人形も販売されているのだろう。残念ながら、覗いてみるだけの時間がなかった。

網走刑務所正門
大正13年竣工。二色の煉瓦は全て刑務所内で製造されたもの


2月4日(土)12:50 
国内唯一の刑務所ミュージアム

網走刑務所から10分ほど走った、天都山の中腹に「博物館網走監獄」がある。明治時代の網走刑務所の建造物を保存公開している野外博物館である

入口の前に監獄食堂があり、ここで遅い昼食を取った。厳めしいのは名前だけで、モダンな造りのセルフサービスの定食屋である。「監獄食」はABの2種類あり、Aはサンマで720円、Bはホッケで820円。食べている人は意外に少なかった。出てくるまでに随分と時間がかかり、そのせいで博物館の見学時間が大幅に短縮されてしまった。

監獄食
現在の網走刑務所で収容者が食べている食事


料金を払って博物館の中に入るとその先に昔の門があった。門が再現されているだけで、塀はない。門の前には看守と伝説的な脱獄犯・五寸釘寅吉の人形が置かれている。

網走刑務所で思い出すのは、NHKで放映された「破獄」というドラマだ。「昭和の脱獄王」と言われた白鳥由栄をモデルにしたドラマで、緒形拳が脱獄犯、津川雅彦が監視を演じた。手錠と鉄格子に味噌汁を吹きかけ続け、味噌汁の塩分で鉄を錆びさせて脱獄するシーンが印象的だった。

破獄
脱獄の常習犯と刑務官たちとの闘いを描いた長編小説


時間がないので、見学できたのは重要文化財の庁舎と放射状の舎房の2か所だけだった。
この放射状の舎房こそが、白鳥由栄が脱獄を繰り返した場所である。脱出に使った天井の窓はビルの4階ぐらいの高さがある。運動不足の囚人が、スポーツクライミングさながらに、ここをよじ登ったというのだから、驚くばかりだ。

出口のところに、お土産売り場があった。「監獄せんべい」、「差し入れ羊羹」、「脱獄犯文字入りTシャツ」、「出所祝いクリアファイル」、・・・・・
刑務所を観光資源にするとこうなるという見本のような品揃えだった。


2月4日(土)14:40 
間一髪

博物館網走監獄の出発は予定よりも10分ぐらい遅れていた。新千歳行き飛行機の出発時刻は14時40分である。飛ばしたくても路面の状態がそれを許さず、間に合わないのではないかとヒヤヒヤした。女満別空港に戻ったときは14時を過ぎており、間一髪で間に合ったかんじだった。

新千歳空港に着いたのが15時半、登別行きの電車の出発時間が16時15分。45分間の空きがあるので、空港内のレストランで小宴会になった。網走で飲めなかった「流氷ドラフト」などを頼み、ついつい時間のたつのを忘れてしまった。電車の時間が迫っているのに気づき、慌ててホームにかけつけたが、今度は間一髪間に合わなかった。

流氷ドラフト
流氷を仕込み水に使用した青い色のビール


2月4日(土)19:00 
悪魔の酒

1本あとの電車に乗り、登別駅に着いたときは夕方の6時を過ぎていた。駅前は灯が落ちてすっかり暗くなっていた。

宿泊は第一滝本館、登別を代表する大旅館である。登別温泉郷は9つの泉質が湧き出る日本でも珍しい温泉地で、第一滝本館は、そのうち7つの源泉をかけ流しで引いている。

駅からタクシーで10分、料金は2000円、想像していたよりも近かった。部屋は本館の6階、和室の10畳でトイレはあるが風呂はなかった。どうってことのない普通の部屋だった。


夕食は「湯の里」という食事処で取った。にごり酒を注文したのだが、どうやらこれが強烈だったらしく、食事の内容が思い出せない。HPの食事の写真を見ても、食べた記憶が蘇らない
食後、部屋に戻るとすぐ寝てしまった。T君は意識朦朧のまま温泉に行き、部屋に戻る直前で気を失ったらしい。エレベータホールで爆睡しているところを、従業員が部屋まで担ぎこんで寝かし付けたそうだ。そんなことがあったことも露知らず、こちらも悪魔の酒で爆睡していた。

深夜3時頃に目が覚め、それから温泉に行った。大浴場はかなり遠い。部屋に戻るまでに湯冷めしてしまうのではないかと思えるほど距離があった。さすがに深夜なので誰もいなかった。浴室の窓からは地獄谷が見えるはずだが、深夜では望むべくもない。7つある源泉すべてに浸かるつもりだったが、4つぐらいでめげてしまった。まだ、酒が残っていて、長湯がきつくなってきたためだ。登別まできたというのに、温泉を満喫できぬまま終わってしまった。


2月5日(日)8:30 
中国人との遭遇

朝早くチェックアウトして、地獄谷を散策した。異様な光景である。遊歩道が整備されており、鉄泉池まで歩いて行くことができるが、降った雪が凍り付いて足元がおぼつかない。10分ぐらい歩いて、鉄泉池に到着した。鉄泉池は小さな間欠泉で、少しずつ沸騰するようなかんじで約80度の湯がゴボゴボと湧きあがるそうだが、特に何も起こらなかった。時間がかかるのかもしれない。

鉄泉池
地獄谷のほぼ中央に位置する小さな間欠泉


2月5日(日)9:00 
チェンジね

温泉街に戻ったのは8時40分頃。湯澤神社で御朱印を頂くつもりだったが、9時前では社務所が開いていない。9時までの時間潰しに温泉街を散策した。

湯澤神社
登別温泉の開拓者・滝本金蔵(滝本の創業者)が創建した神社


第一滝本館の前に道南バスのバス停がある。すでに中国人の大集団でごった返していた。バス会社の女性が大きな声で大集団を誘導していた。

People going to Sapporo, follow me
People going to Noboribetsu,stay here

これで通じるらしい。登別駅行きのバスの中は我々以外はすべて中国人だった。登別駅では最後に降りることにして、運転手と中国人のやり取りを見ていた。小銭のない客に対して、運転手が両替機の投入口を指さし、「チェンジね、チェンジね」を連発していた。最後に降りる我々のことも中国人だと思ったらしい。怒ったような口調で「チェンジね」を繰り返す運転手に、「両替だろ」と言うと、日本人だと分かったらしく苦笑していた。「チェンジね」の「ね」は余計だ。


2月5日(日)12:30 
北運河を逃す

登別から札幌経由で小樽に向かった。札幌までは特急スーパー北斗に乗車する。念のため指定席を予約しておいたが、それは正解で、満席だった。案の定、まわりは皆な中国人だった。大声で話すからすぐ分かる。大声が公共マナーに反するという文化がないのだろう。もっとも、我々も席に着くなり朝からビールだから、人のことをとやかく言えた義理じゃない。

小樽では最初に、重要文化財の「旧日本郵船 小樽支店」の見学と昔の面影を残す北運河の散策を予定していた。駅からはバスを使うのだが、乗換時間は4分しかない。しかし、電車の到着が遅れた上に、駅の構内も大渋滞でなかなか前に進めず、駅の外に出られた時にはバスはとうの昔に発車していた。次のバスまでは20分も間があるので、北運河の散策は断念するしかなかった。


自称・小樽通のM君の提案で、小樽駅の近くにある榎本武揚ゆかりの竜宮神社で御朱印を頂いた後、竜宮通りを運河に向かって歩くことになった。

竜宮神社
榎本武揚が開拓移民の心のよりどころとして建立した神社


2月5日(日)12:30 
小樽も中華街

竜宮橋から浅草橋までが半分だけ埋め立てられた小樽運河で、とにかく人が多い。写真でよく見る風景は浅草橋から撮ったもので、この日もきれいに凍り付いていた。

昼食は寿司にした。寿司屋通りに行きたかったが、浅草橋から少し離れていることと、中国人や韓国人の団体が多いことからやめた。近くにあるホテルソニア1階の「きた浜」にした。ここの昼は、50分、2000円の寿司バイキングがある。人気があるらしく、ホテルの受付で申し込みをしてから少し待たされた。寿司はカウンターに並べられ、その他に鶏の唐揚げや蕎麦なども置いてあった。50分は短いと思っていたが、そんなに食べられるものでもなく、また、寿司の種類も少なくて、最後は飽きてきた。結局、30分足らずで終了になった。


浅草橋からは、「北のウォール街」から境町通り商店街に入り、メルヘン交差点に向かって歩くことを想定していた。ところが、小樽通のM君が道道17号を北一硝子3号館に向かって歩き始めた。北一硝子に着いても店内を見るわけでもなく、境町通り側の出口から外に出ると、そのままメルヘン交差点の小樽オルゴール堂に向かって歩きだした。M君の小樽通は、小樽の道を理解しているだけで、見るべきところは全く理解していないようだった。

境町通り商店街も中国人だらけだった。あちらこちらから聞こえてくる中国語、たまに聞こえる日本語は店の従業員のものだった。日本なのに日本にいる気がしなかった


メルヘン交差点は喧騒の中にあった。信号を守らず道路にあふれ出す観光客に対して、けたたましくクラクションを鳴らす車。記念撮影どころではなかった。蒸気時計の写真はなんとか撮れたが、常夜灯の写真は撮ることができなかった。

蒸気時計
15分ごとに蒸気が吹き出し、5音階のメロディーを奏でる


2月5日(日)16:30 
雪まつりは前夜祭

札幌は雪まつりの前日だった。

前年の夏、旅行の予定を組んだとき、雪まつりの開催日はまだ決まっていなかった。決まるのを待っていては飛行機の予約が取れないので、2月4日からだろうと勝手に推測した。予想は外れて、「第68回さっぽろ雪まつり」は2月6日(月)から12日(日)までの1週間だった。もっとも、前日と開催日の違いは、イベントが行われているかどうかぐらいの差でしかない。雪像は一部を除いて全て見て回れるし、店もすべてオープンしていた。静かに見て回るには前日のほうがよい、そう納得させるしかなかった。

大通り公園を西4丁目から12丁目までを歩いて見て回った。真っ白い巨大な雪像は、コントラストがはっきりしないせいか、とても見にくかった。夜間、ライトアップされた状態で見るのが一番いいのかもしれない


圧巻は8丁目の「奈良・興福寺 中金堂」。この大雪像の制作には、延べ3,800人の自衛隊員が投入されたという。「奈良・興福寺 中金堂」は、興福寺伽藍の中心となる最も重要な建物で、和銅3年(710年)に、藤原不比等により創建された。平安時代以降、7回もの焼失、再建を繰り返したが、享保2年(1717年)の焼失後は再建がままならず、放置されていた。そして今、平成30年(2018年)の落慶を目指して、復元工事が進められている。落慶よりも1年早く、「雪像で復元してみました」という趣向である。

小雪像では9丁目のピコ太郎が人気になっていた。よく似ていた。


もうひとつの人気は、雪ミク(初音ミク)。
2010年の雪まつりで、真っ白い「初音ミク」の雪像を作ったことをきっかけに誕生した。それ以来「雪ミク」が主役のフェスティバル「SNOW MIKU」が毎年北海道で開催されている。雪像はイラストよりも子供っぽい感じだ。

雪ミク
冬の北海道を応援するキャラクター


ラムハウスケケレ

旅行の打上げは、札幌市営地下鉄・西18丁目駅の駅前にある「ラムハウス・ケケレ」。分かりにくい場所にあるわけでもないのに、店が見つけられず、しばらく周辺をうろうろした。
表の看板には「生肉じんぎすかん」と書かれているが、ラム専門の焼肉店である。タレは、あのジンギスカンの甘辛いタレではなく、塩ダレのようなものだったし、ラムの刺身など生肉のメニューもあった。店主はかなりこだわりの強い人物で、食べ方についてあれこれと細かく指示された。
正直なところ、口に合わなかった。ジンギスカンはジンギスカンらしいものがいい。

ところで、2016年の北海道の訪日外国人の統計を見ていて、面白いことが分かった。国別の登別市の滞在日数をみると、中国8.6万人泊、台湾17.4万人泊、香港4.0万人泊、韓国9.8万人泊となっている。一番多いのは台湾で、中国は韓国よりも少ないのである。あの登別で遭遇した大集団は、台湾人を筆頭に、中国人、香港人が入り乱れていた可能性が高い。なんにしても、日本人旅行者にとっては迷惑な話である。


記:2018年4月