
2026年2月
この旅行は全国温泉巡りのはずだが、幹事が温泉よりも行ったことがない場所を優先したため、沖縄になった。これを受けて、M君が旅行プランを作成したのだが、彼は「由布島の海を渡る水牛車体験」をしたかったらしく、それ除けば他に見るものもなく、ただ飛行機と船を乗り継いで離島を巡るという呆れた内容だった。しかも、沖縄初心者である幹事の事情には一切配慮しない身勝手な計画だった。そのことを諌めても頑なに譲らず、結局、本島組と離島組の別行動になった。本当に大人げない。
最後の沖縄は2005年12月の小浜島だが、これはゴルフを目的にした旅行だった。観光ということでは、2003年5月の沖縄本島になる。こんなにも長く足が遠のいたのは、真冬の男鹿半島で体験した息もできないほどのシベリア下ろしのせいだ。それは人生観が変わるほどの地獄体験で、以来、北国の厳しい暮らしがとても愛おしく感じられるようになり、あれほど好きだった沖縄が急速に色褪せてしまった。不思議なものだ。
この20年間で沖縄に起きた最大の事件は、首里城正殿の焼失につきる。今秋には復元される見通しだが、今の状況を見ておきたかった。
2月13日(金)10:30
沖縄の空は快晴
この時期の沖縄は服装が難しい。東京との気温差は5℃程度だが、日差しが強く、体感は10℃ぐらい違う。羽田では、長袖のポロシャツの上にセーターとブルゾンを羽織り、那覇ではポロシャツだけになった。冬用の厚手のポロシャツだったせいか、これでも少し暑かった。
那覇空港の到着が10分遅れた上に、レンタカーを借りるのにも手間取ってしまった。送迎はハイエースのようなワンボックスを想定していたのだが、やって来たのは小型バス。しかも、満員ですぐ乗れなかった。利用したのはオリックスレンタカーで、メジャーすぎたのかもしれない。利用者の大量輸送のせいで、予定よりも40分近く遅れてしまった。
2月13日(金)12:00
まずは定番の沖縄そば
昼食は糸満にある沖縄そばの人気店「茶処 真壁ちなー」にした。店は明治24年頃の古民家を改装したもので、国の登録有形文化財に指定されている。さらに、第二次世界大戦時の銃弾の跡が柱や石垣に残っているという。
人気店なので少し早めに行く予定だったが、40分遅れたため、ちょうど混雑する時間帯になってしまった。車が止められただけでも運が良かったかもしれない。店の外で待つこと15分、やっと席に着けた。一番人気の「軟骨ソーキそばセット(中)」を注文し、料理が出てくるまでの間、店の中を観察。文化的価値はさっぱり分からなかったが、居心地の良い空間であることは確かだった。肝心の料理は意外なほど普通。人気店だが名店ではなさそうだ。
2月13日(金)13:00
ここまで来たら参拝
「真壁ちなー」から「ひめゆりの塔」までは5分、目と鼻の先だ。「ひめゆりの塔」は、1945年の沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒や教師のための慰霊碑で、沖縄戦の翌年、両校で最も多くの犠牲者を出したガマ(鍾乳洞)の上に建てられた。間近に覗くとかなり深い穴である。慰霊碑の奥には生存者の手記や従軍の様子などを展示した「ひめゆり平和祈念資料館」があるが、すでに1時間遅れのためパス。
このような慰霊碑は他にいくつもあったらしいが、ここが映画に取り上げられたことで有名になり、史跡として整備された。周りには参拝客目当ての店が多数あり、戦争の悲劇を後世まで語り継ごうとするものと戦争の悲劇を売り物にするものがしのぎあっている。
2月13日(金)13:30
見学できたのは玉泉洞だけ
ここも定番の観光スポットである。国内最大の鍾乳洞「玉泉洞」がある。全長は5,000mを超えるが、そのうちの890mが公開されている。その他にもいろいろ見所があるが、今回楽しみにしていたのは伝統芸能であるスーパーエーサーショーだ。公演時間が決まっていて、これまで1度も見れていなかった。それで今回は公演時間に合わせた計画を組んだのだが、大きく遅れてしまい、またしても幻になってしまった。ちなみに、かつて一世を風靡した「ハブとマングースの決闘」は動物愛護法の改正で出来なくなり、今はマングースが水泳大会したりハブが風船を割ったりするショーに変わっていた。
玉泉洞に入った瞬間、ムッとするような湿気に覆われた。洞窟の内部では泡盛の古酒が貯蔵されているので、涼しい場所と思い込んでいたが、実際はかなりジメジメしていた。平日のせいか観光客は少なく、渋滞することなく進んで行けた。3度目なのに鍾乳洞の中の地形はまったく覚えておらず、わずか890mが随分長く感じられた。最後は少し飽きてきた。
玉泉洞の入口では、無料の写真撮影が行われていて、撮った写真は出口で貰えるという。ポーズまで取らされて撮影したのに、出口で受け取ったのは白黒写真。カラーは有料になるという。あまりのセコさに唖然とした。出口の先にあるフルーツパーラーで暑さを癒やすためにマンゴフローズンを注文。美味しかったのは最初の数口で、その後は量の多さに閉口した。
2月13日(金)15:30
見せる復興の今
首里城公園には無料駐車場が2箇所あるが、どちらも満車で、近くの有料駐車場を利用することになった。このあたりは急坂が多い。また、首里城公園に向かう途中に首里高校があり、放課後の部活の様子が見えた。首里高校は沖縄勢として初めて甲子園に出場した名門高だが、聞こえてきたのは野球ではなくバスケットボールの音だった。
首里城正殿は、1945年の太平洋戦争沖縄戦において、陸軍の司令部が首里城の中に置かれたために空爆を受け焼失した。首里城再建は県民の悲願で、1992年(平成4年)に正殿を中心とする建築物群、そこへ至る門の数々と城郭が再建され、首里城公園として開園した。それから、わずか27年後に正殿が焼失してしまった。原因は不明だが、漏電だと言われている。
守礼門までは往時の雰囲気と変わらない。歓會門、瑞泉門、漏刻門、廣福門と進み、奉神門の前まで来ると、クレーンのアームや建設用の足場が現れ、奉神門の先は立入禁止になっている。工事現場の外周に足場が作られ、ここから先が有料区域になる。
正殿を覆っていた素屋根が取り除かれ、再建した正殿の様子をフェンス越しに見ることができた。同時に焼失した南殿と北殿はまだ基礎しかできていなかった。「見せる復興」と言うわりには、見える場所が限られ、かつ少ない。正殿の裏手には「首里城復興展示室」が設けられ、写真・映像・展示物で復元の歩みを紹介している。「見せる復興」というのは、復興の様子をインターネットなどを使って発信することを意図しており、ここで金を取るのは少しおかしい気もした。
2月13日(金)17:30
旭橋駅界隈
宿泊は2日間とも、ゆいレール旭橋駅の近くにあるビジネスホテル「ホテルルートイン那覇旭橋駅東」。セミダブルのシングルベッドと朝食付きで、少しタバコ臭かったことを除けば、料金もリーズナブルで申し分なかった。旭橋駅周辺には飲食店も多く、沖縄観光の拠点としても好立地だった。
ゆいレールの乗降客数上位2駅は那覇空港駅と県庁前駅で抜けて多い。これに続くのが旭橋駅で、ここにはバスセンターがある。実は、ここから泊港行きの直通バスがあったのだが、気づかなかった。
2月13日(金)18:30
悪夢のアメリカンビレッジ
ホテルにチェックインした後、アメリカンビレッジ経由で残波岬に行く予定だった。残波岬は、沖縄本島で夕日が最後に沈む場所として知られる絶景スポットで、日没の予定時刻は18時20分だった。ホテルの到着が遅かったことに加え渋滞で、アメリカンビレッジに着く前に日が沈んでしまった。
沖縄県北谷町美浜にあるアメリカンビレッジは、アメリカ合衆国の雰囲気を模したショッピング、エンターテイメントエリアで、2004年に完成した。夕方から夜にかけての美しい景観が人気で、とりわけ、北谷サンセットビーチ周辺は混雑する。
残波岬は諦め、ここで夕食をとることにした。車を停められる場所を見つけ、人気のエリアに向かう途中でつまずき、顔面を痛打。口の中を切って食事どころではなくなった。ライトアップされた建物に目を奪われ、足元の確認が疎かだった。やむなく旭橋に戻り、他の2人には沖縄の夜を楽しんでもらい、自分はホテルで一人寂しく、口の痛みに耐えながら、ローソンのおにぎりで済ますことになった。
2月14日(土)10:00
23年ぶりの再会
昨夜は常温のものしか口にできなかったが、相変わらず腫れてはいるものの、今朝は少し改善していた。
旭橋から美ら海水族館までは、高速道路を使っても2時間かかる。こんなにアクセスが悪くても年間の来場者数が200万人を超える。水族館の来場者数としては空前の数値だ。巨大なジンベエザメとそれを展示する世界最大級の水槽だけでなく、沖縄の海を再現した様々な展示も人気がある。
ここに来るのは23年ぶりだが、見学の様子は様変わりしていた。中国人観光客が増えた。高市総理の台湾を関する発言をめぐって日中関係が悪化し、中国政府が日本への渡航自粛を呼びかけているが、館内では相変わらず中国語が飛び交っていた。また、水槽に向けてスマホをかざしている人が多く見られた。魚の名前を教えてくれるアプリを使っている。試しに使ってみたが、肩が凝って、途中でやめた。
巨大ジンベエザメがいるのは、「黒潮の海」と名付けられたエリアだ。ここまで来ると人の足が止まり、渋滞になる。大水槽の容量は7500㎥だが、ジンベエザメには小さすぎるかもしれない。
巨大ジンベエザメザメの名前はジンタ。4歳のときからこの水槽で泳いでおり、今年で30歳になる。世界長寿記録を更新中らしい。この小さな水槽の中で、自分と同じ年月を生き、同じように年老いたと思うと、少し感傷的になった。
2月14日(土)12:30
橋で渡れる離島
人気の古宇利島で昼食を取った。古宇利島大橋が完成したのは2005年。離島を結ぶ橋としては日本最長だったが、最近宮古島の伊良部大橋に抜かれた。宮古島の橋の先は昔ながらの沖縄だが、こちらはおしゃれな観光地である。
「RICE BOWL FACTORY(ライス・ボウル・ファクトリー)」という店に入った。海の家風の店で、若者が多いと気後れしそうだが、幸い誰もいなかった。RBFボウルとパインジュースのセットを注文。一般的なタコライスとビジュアルは違うが、味はそれほど意外感はなかった。
2月14日(土)13:30
波打つ石垣
今帰仁城跡は美ら海水族館の近くにある。古宇利島同様、今回初めて行く場所である。
今帰仁城は、琉球王国成立以前(14世紀)に存在した北山の国王・北山王の居城で、国の史跡、世界文化遺産の一部に指定されている。城壁の石垣は、本土の城にもよく見られる野面積みだが、うねるような曲線状に積まれていて、とても優雅な印象を受ける。入口である平郎門から城の中心部へと向かう階段は後に整備されたものである。階段の左右には寒緋桜の並木があり、桜の名所になっているが、残念ながら盛りを過ぎていた。
小さな城跡に見えたが、歩くと意外にきつかった。それもそのはずで、斜面に建てられているため、奥に行くほど山を登るかんじになった。石垣の上は、万里の長城のような通路が作られており、中国の影響を感じた。一番高いところからは、原生林越しに海を臨むことができ、タイムスリップ感がある。都会の中にある首里城の景観とは趣きが違う。
見学の後、歴史文化センターで史跡の説明を聞くつもりでいたのだが、暑さと疲れでスルーしてしまった。知識欲はあるのに体力がついてこれない。歳を感じる瞬間でもある。
2月14日(土)16:30
とりあえず温泉
2時間かけて旭橋に戻った。一応温泉旅行なので、日帰り温泉を探したところ、「琉球温泉 波の上の湯」を見つけた。HOTEL SANSUI NAHAの中にある温泉施設で、近くには沖縄総鎮守として信仰されている波上宮がある。
波上宮は、海にそびえる断崖の上に立ち、プロ野球の球団も祈願に訪れる人気の神社だ。社殿の屋根の赤瓦と朱色の柱が空に映え、狛犬の代わりにシーサーがおかれている。車を波上宮の駐車場に停めようとしたら、直前に満車になった。神社の駐車場係が後ろを指さしながら、「レフト、レフト」と有料駐車場の場所を教えている。ここも、登別と同様、中国人がディフォルトになっているらしい。
参拝後に入浴。浴場は1階と2階にあり、内湯・露天風呂・サウナを完備している。ヌメとした湯だが、温泉気分は味わうことができた。
2月14日(土)18:30
ディープな沖縄
夕食は国際通りにある牧志公設市場にした。ここには、1階で魚や肉などの食材を買い、2階の店で調理してもらう「持ち上げ」というシステムがある。一度ぐらいは体験しておこうということになった。
公設市場は国際通りの中間辺りから脇道に入る。脇道のアーケード街は小さな店が軒を連ねるディープな沖縄である。その中にある公設市場は、外からは中の様子が一切見ることができない、怪しげな店だった。
魚屋を見つけて食材を購入した。予算は3千円を見込んでいたが、最初に選んだ魚の値段が2800円で、早くも計画倒れになった。大ぶりの海老を3匹追加して2階に上がった。調理法は刺し身に、煮付けと焼き物。酒や一品料理はその場で注文した。料理は美味しかったが、値段はあってないようなものだった。
2月15日(日)10:00
座間味ホエールウォッチング
最終日は座間味島でのホエールウォッチングである。
座間味島行きの高速艇は、泊港北岸から9時に出航し、約1時間で座間味港に到着した。座間味港では、DRIFTERの看板を掲げた案内人が待っているはずだが、見当たらない。フェリー待合所の中に入ると、そこで受付を行っており、手続きを済ませるとすぐ出航するという慌ただしさだった。参加者は自分達を含めて5名。意外に少ない。出航し、約1時間で現場に到着。周囲には同業の船が7隻いて、視線の先にクジラの尾が見えた。
クジラが2頭、潮を吹いたり、尾を海面に叩きつけたりして暴れていた。クジラの動きに合わせて、ボートも少しづつ移動する。クジラがボートに向かってきたときはさすがに緊張した。しかし、最後まで巨大な勇姿を海面に現すことはなかった。期待したほどの盛り上がりもなく、1時間で終了。これでも運が良い方らしい。
1時間かけて座間味港に戻ったが、結構揺れて軽い船酔いになった。
2月15日(日)14:00
23年ぶりの沖縄
座間味村漁協の食堂で遅い昼食を済ませると、もう帰りのフェリーの時間である。余韻に浸る間も無く、座間味島をあとにした。
首里城を除けば、23年前と比べて観光地に大きな変化はなかった。大きく変わったのは観光客のほうである。座間味港のフェリー乗り場には、全身にタトゥーを入れた男女のカップルがいた。また、漁協の食堂には海鮮丼を箸で器用に食べる外国人のグループがいた。思わず見てしまうが、周りは見慣れているのか、意外なほど無関心である。座間味島に限らず、どこもかしこもアジア系の観光客が増え、金髪、ピアス、タトゥーなどを施した人間が増えた。沖縄は開放的で、こうした文化が入りやすい。我々の年代にとっては、落ち着ける居場所が年々少なくなっているような気がしてならない。
(完)
実は最初に行った沖縄は座間味島だった。1983年8月のことで、今から43年前である。沖縄本島から座間味島に移動し、マリンスポーツとサンセットクルーズを楽しむツアーだった。細かいことはよく覚えていないが、記憶に鮮明なのは次のようなことだ。
①那覇空港の日差しが眩しかったこと
②群青色の海が座間味島に着くと鮮やかな緑に変わったこと
③ガイドにTシャツを着て泳げと注意されたが、無視して素肌で泳いでいたら、背中が火膨れみたいになったこと
④夜の海辺で花火をしたら、近くにガソリンスタンドがあり、バカヤローと怒鳴られたこと
⑤サンセットクルージングで、「あれがさそり座です」と言われ見上げた空に、ボートを遥かに凌ぐ大きさの星座があり、感動したこと
⑥本島で初めて口にした沖縄料理がとても不味かったこと
特に沖縄料理については、「ソーメンチャンプルーとジーマミ豆腐しか食えるものがない」とずっと思っていた。23年前の沖縄観光は仕事のついでで、その時のお客さんから夕食の食事処を紹介された。行ってみると、その店は何でも美味しかった。肉も魚も中身汁もジューシーも豆腐ようまでも美味かった。今回の旅行ではその店に行こうと思い、記憶を頼りに探したが、見つけることができなかった。地元の人しか知らない本当の沖縄がどこかにある。
記:2026年3月