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2025年2月 北九州の旅 太宰府天満宮、宇佐神宮を中心に北九州4県をめぐる旅。車での移動距離が長く、観光の時間が短かったが、パワースポットの2箇所だけはしっかり体験できた。 |
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2024年2月 熊野古道・伊勢路 熊野三山から伊勢神宮、霊験あらたかな地を巡る旅。襟を正し、黄泉がえりの地・熊野では健康回復を願い、日本の守り神・伊勢神宮では国家安寧を祈願。 |
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2023年2月 庄内 鶴岡、酒田の主要観光スポットを巡る旅。大寒波の影響もなく車で移動。雪をかき分けての羽黒山五重塔、クラゲづくしの加茂水族館、舞妓さんが踊る相馬樓の体験が印象的だった。 |
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2022年2月 滋賀 三井寺と延暦寺、仏教の聖地を巡る旅。前日までの大雪にも、新型コロナウィルスの感染急拡大にも影響を受けなかったが、時間見積もりが甘く、計画どおりには行かなかった。 |
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2021年2月 鹿児島 新型コロナが猛威を振い、外出自粛が要請される中、あえて強行した背徳の鹿児島旅行。晴天続きだったのに、この週末だけ天気が悪く、桜島も開聞岳もその美しい眺望を拝むことができなかった。 |
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2020年2月 佐渡島 佐渡冬紀行という2泊3日の格安ツアーで佐渡へ。直前に発生した低気圧で海は大荒れ。なんとか佐渡へ渡れたものの、目まぐるしく天気が変わり、とうとう大時化に。帰れないかもしれない、流人気分の佐渡旅行。 |
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2019年4月 飛騨高山 立山アルペンルートの通り抜けの切符が取れなくて、あわや計画倒れ寸前に。立山以外はすでに春で、いつもとは風情が違った。富山地方鉄道の車窓から見える春の田園風景とその背後にある美しい立山連峰の姿が心に残る。飛騨高山は観光時間が足りなくて消化不良。 |
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2018年5月 城崎温泉 城崎、天橋立、伊根。一度は行ってみたいが、いざとなると、億劫に感じてしまう場所である。姫路城と法隆寺を前後につけて、億劫を克服した2泊3日の旅。昭和感満載の城崎の賑わいがとても居心地がよかった。 |
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2018年2月 出雲大社 白兎神社、玉造温泉、神魂神社、出雲大社のディープな神話の世界と、仁風閣、松江駅、松江城と興雲閣などの明治の山陰行啓の名残を巡る神話と神道の旅。帰路は旅情豊かな夜行列車。宿泊した宿は最高のおもてなしだった。 |
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2017年4月 足尾銅山 佐野から両毛線、わたらせ渓谷鉄道と並走して足尾を目指した。偉大な明治日本の産業革命遺産だが、想像以上に荒廃が進んでいた。地元は活性化のために世界遺産に登録したいようだが、現状はとても厳しいみたいだ。 |
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2017年2月 登別温泉 出発前は網走の流氷が何処にいるのかやきもきした。神秘的な流氷体験に始まり、重苦しい監獄遺産、登別温泉の地獄絵図、華やかな小樽、最後が札幌の雪まつりと盛沢山。行く先々で出会う中国人観光客の大群に困惑。 |
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2016年7月 根室 日本の端にあるゴルフ場を巡る旅で、最後に残ったのが9ホールの根室ゴルフクラブ。とりあえず制覇したものの、濃霧でコースの全容は分からず。ゴルフの後、納沙布岬から国後島を望むも霧で見えず。摩周湖にも行ったが、ここも霧。何もかもが視界不良の旅だった。 |
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2016年2月 酸ヶ湯温泉 酸ヶ湯温泉はさすがに遠くて、初日は移動だけで終わってしまった。翌日は、津軽鉄道を中心に盛沢山の計画を立てたが、ストーブ列車の楽しさは格別だった。打ち上げの居酒屋で食べた本マグロの味が忘れられない。 |
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2015年2月 乳頭温泉 念願叶って、大人気の乳頭温泉に泊まることができた。翌日は男鹿まで行って、なまはげ体験や石焼料理を堪能。2010年の秋田旅行の積み残しをすべて消化した。乳頭温泉の前に立ち寄った盛岡のわんこそばが楽しかった。 |
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2014年3月 熱海 記録的な大雪のために計画していた秋田旅行が中止。熱海はその代替え旅行で、金目鯛、鮑、伊勢海老が格安で食べられるホテルがあった。熱海は新陳代謝が激しく、新しいホテルが建設される一方で、老舗旅館が次々と廃業に追いやられている。生き残りをかけた大盤振る舞いの味に舌鼓。 |
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2013年2月 白川郷 世界遺産の白川郷と五箇山をドライブ。船でしか行けない大牧温泉に泊まり、翌日は富山市内の名所を巡った。雪に埋もれた白川郷、五箇山とは対照的に富山市内はほとんど雪がなかった。氷見グルメも不発に終わり、美味しいものに出会えなかった旅。 |
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2012年11月 奥会津 大内宿は山の中の隔絶された集落で、そのために近代化からも取り残された。それが幸いし、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、年間100万人が訪れる県内有数の観光地になった。大内宿に魅せられると、日本の原風景を色濃く残す農村の厳しい暮らしのほうが、幕末の会津史よりも面白いと感じるようになった。晩秋の奥会津、一人旅。 |
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2012年7月 知床 中標津空港を起点に、レンタカーで知床半島を一周。ウトロ港から知床の海にも出た。羅臼は閑散としており、目の前にあるはずの国後島も見えなかった。誰もいない野付に行った時、国後の島影がかすかに確認できた。 |
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2012年2月 銀山温泉 赤いレインコートと黒いゴム長を履いて、絵画のような温泉街を散策。翌日は、雪の山寺に上り、震災の傷跡が残る松島にまで足を延ばした。観光というよりも、雪国の暮らしを体験しているような楽しさがあった。打ち上げは仙台の牛タン焼き。 |
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2011年8月 函館 震災の余韻が残る中、青森から函館の広い範囲を2泊3日で巡った。最も印象的だったのは函館。異国情緒の街並みや五稜郭も良かったが、夜景は格別。電力不足で夏休みの日程までもが変更される中で、ここだけは別世界だった。 |
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2011年2月 奥能登 シベリアおろしを求めて、能登半島を車で一周したが、雪もなく風も穏やかで、肩透かし。鍋旅行の動機は希薄になっていたが、和倉温泉に一泊し、壮絶なカニ鍋を体験。翌日行った金沢では、兼六園や金沢城よりも、のどぐろの味に感銘した。 |
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2010年2月 角館 次はきりたんぽ鍋ということになった。この時から、ドライブのついでではなく、本格的な温泉旅行になった。観光を付加しないと元を取れないが、そのあたりの意思統一が不十分で、滑稽なほどドタバタになった。男鹿半島で人生観が変わるほどの強烈なシベリアおろしを体験した。 |
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2009年2月 伊豆修善寺 北茨城の鮟鱇鍋が想定外に良かったので、今度は牡丹鍋ということになった。修善寺から天城越えのルートで河津に向かう、その途中で牡丹鍋が食べられる温泉宿に泊まった。その宿が殊の外良くて、2月の温泉旅行が定例化するきっかけになった。 |
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2007年2月 北茨城 旅の目的は鮟鱇鍋だが、現地に向かう車の中から店の予約を入れたぐらいだから、それほど鮟鱇鍋に執着していたわけでもなさそうだ。前年にヒットした映画「フラガール」の影響で、スパリゾートハワイアンズに行きたかったのかもしれない。ここは4年後の大災害の現場になった。 |
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2005年2月 伊豆長岡 30年を超えるカーライフで、最も愛すべき車は日産ラフェスタ。運転は楽だし、人も荷物も積めたし、何処へでも行けた。14年間の長きにわたり旅路を支えてくれた愛車も、2018年8月、東北道で事故に遭い、変わり果てた姿で廃車になった。ラフェスタでの最初の遠出が伊豆長岡だった。 |